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李鋭 中国はいかに変わるべきか? 2006

李銳《訪談:中國「該」變成什麽樣子?》載《李銳新政見 何時憲政大開張》天地圖書有限公司2009年,57-62    2006年5月の記事の採録 このとき李鋭は満86歳である。

p.57    問:今年は文化大革命発生四十周年、毛沢東、周恩来がなくなって三十周年、「長征」七十周年です。このように長い歳月を経て、中国共産党はどのような(那些)歴史経験と教訓を得たでしょうか。
答:私の個人的経験から、また歴史見証もできるでしょう。私の父親は日本に留学しました(留日的)。そこで同盟会に入りました。宋教仁は学校で同じクラスでしたし、黄興は友達でした。
 父親は日本の中国を滅ぼす野心(亡華野心)がはっきりわかっていました(洞悉)。彼は私の机の上に黄興の大きな写真を残しました。その上に父親の字で「壮志未酬身先死」(志半ばで先に死す 杜甫の詩 訳注)とあります。私は小さいときから父親の影響で、学校でまた「田中奏折」(日本で田中上奏文とよばれるもの 日本では偽書とされるが作成者・作成の意図は不明)を読むに至りました。もともとは文科でしたが、大学では機械系を受験しました。当時は皆工業を行って、中国を救うという考え方でした。
 私達は武漢大学で秘密学連を作りました。大体300人余りで私が頭(かしら)です。当時武漢にはなお共産党の正式組織がなく、私たち七八人が自ら共産党支部を作り、このあとは勉強せず革命をしました。ただ中国をよくしよう、民主国家を作ろうとの一心です。
 当時革命をしたことは間違っていたでしょうか?現在からみると、当時のわれわれは無茶苦茶(胡鬧   道理や理屈がないように)に見えます。しかし私はそれは自然な発展だったと思います。我々は日本に反抗して中国を救いたいと思いましたが、しかし蒋介石は当初、日本に対して不抵抗(不対抗)の態度を取り、(我々は)革命するしかなかったのです。
 私は延安で六年待ち、新聞を編集し評論を書き、政治動物に変わりました。共産党勝利後、情況は複雑に変わりました。短いことばでは(三言兩語)はっきりいえませんが、それでもいくばくの結論はあります。
 私が最近いつも考える問題は、中国はどのような中国に変わるべきかといp.58   う問題です。
 問:これは大きな問題です。中国はどのように変わるべきでしょうか?
 答:これは3つの主要問題にかかわります(牽涉)。第一(の主要問題)は人類の歴史発展で一体進歩とは何か(到底靠什麽進步)?ということです。我々は中国の文化伝統を見ます。毛沢東はかつて「わたしは秦の始皇帝にマルクスを加えたものである。」と言いました。秦の始皇帝は、春秋戦国百家争鳴を終わらせ、独裁(専制)を実施、国家と各方面の制度を効果的に統一しました、これに従い歴代の皇帝は皆、乾綱獨斷(一人で決めて口を出させない)でしたが、毛沢東は始皇帝を好みました。欧州の歴史発展は東方と完全に異なり、ローマ時の貴族議会を経て、中世紀には1000年の暗黒時期が続き、そのあと文芸復興、啓蒙運動、英国の工業革命とその後に来たのが植民時代でした。
 政治制度上、英国は基本は和平改良(の道を)歩みました。これは比較的に良い道でした。フランスでは革命があり、改良もありました。ナポレオンは皇帝を称しましたが、法典を公布し、法治を唱えました。(それは)現在まで継続して影響しています(發揮作用)。ルソーは人権思想を唱え、全欧州に自由を尊重(崇尚)させ、最終的に欧州人の牢固とした価値観としました。
 米国に至っては、二百年来、憲法の本文は改正されていません、ただし憲法の一部は修正案が可決されると補充されています。東西の異なる歴史経験をまとめますと、世界の進歩は、第一に科学により、第二に民主により、第三二法治により、第四に市場経済による、ということを発見できます。
 「主義」によるときは、誰もが理解できるようにおこなうことです(搞清楚)。
問:共産党が信仰するマルクスレーニン主義には、いかに対するべきですか?
答:これは私の思考の二番目の主要問題です。「主義」「思想」は人類歴史上、一体どのように影響するのか?
 台湾の憲法には孫中山の三民主義があり、大陸の憲法にはマルクス主義、毛沢東思想と鄧小平理論があります。
 中国人は古来先生をもつことができないのです(この意味はよくわからない 訳者)。我々はマルクスの帽子をかぶって起業(起家)し、最近20年、マルクスを再び研究する思潮があり、私もその一人です。マルクス主義は一体何を語り、どれだけの人が深く理解しているか(搞透澈)。
 私はエンゲルスの次の言葉が好きです(欣賞)。「もし民族が科学で最高p.59    峰を目指すなら、ほんの一瞬も理論なしに考えることはできない。」
 もし真理を追求するなら、しかしもしある理論が絶対真理とされるなら、各人に守らせることが必要になる。
 (しかし)マルクスにはまた誤っている部分があり、彼の無産階級専制は正しくないし、彼と「旧東西」徹底離別(告別)(意味がよく分からない 訳者)はただしくなく、彼が私有制はやがて消滅する、あるいは貨幣は消滅するといったことは誤りだった。
 レーニン主義はさらにひどい(更厲害了)。 資本主義は直ぐに滅亡すると考えていたし、ソ連は唯一の希望なので、それゆえ世界革命をするべきだとした、これは当然、欧州と中国の共産党に影響し、その多くの国家が二次大戦後、社会主義のグループに入り、西方と対応した。これはみな「一国主義」の影響を受けてでした。
 我々は現在、過去を総括し未来を展望する。必ず「主義」を、実践で真理を検証することで、誰も理解できるようにするべきです(搞清楚)。
問:中国共産党の役割評価(角色定位)にかかわりそうです。
答:これは私がお話ししたい第三の主要問題です。「党」を理解できるようにする必要があります。
 中国古代に言う「党」、これはただ文人の集まり(文人派系)です。真正に政権を奪取するための党は、孫中山が始めたものです。「一党独裁(専制)」の問題についていえば、マルクスはパリコミューンを支持する傾向がありましたが、パリコミューンは民主的ですか。エンゲルスの晩年、脳はクリアで、議会闘争を通じて革命に発展させることに賛成でした。
 この裏面には党と法律の間の関係があります。私はなぜ毛沢東を研究したのか?私は彼の身辺で工作しました。責任があると自覚があり、理解できるように進めているのです(去搞清楚)。
   私は毛の読書ノートを読みました。表紙には「わたしはただ自分に対してだけ責任がある(我只對自己負責)」と書かれていました。わたしはこれは重大だと感じました(讓我印象深刻)。
    毛は自ら、彼は「秦の始皇帝にマルクスを加えたものだ」といいました。乾綱獨斷(一人で決めて口を出させない)、「私
p.60   が言えばそれで終わり(我説了算)」もう一つ言うなら「和尚打傘(和尚が傘を差し天を隠している、無法無天、法も天理もないと同じ)」です。
 毛沢東は法律を嫌いましたし、レーニンも法律を嫌いました。なぜなら法律は彼らの手足を縛るからです。
 私は延安で1年半、文革時にまた8年閉じ込められた。閉じ込められるとき、誰も私に一言も説明しない。なぜ閉じ込められるのか。出されるとき、同じく誰も一言も説明しない。なぜ解放されるのか。
 我々はまずはっきりさせる必要がある(要弄清楚)。我々の国家は党が管理しているのか、あるいは法律が管理しているのか。
   我々は過去「主義」について、党について、文明の進展について誰もが理解できるようにしてこず(搞不清楚)、「よくわかっていないところ(盲區)」に入った。それゆえ知識にも素材(資本)にも乏しく多くの誤りを犯した。思い起こすのも苦痛である。
 鄧小平は早く語っている。党と国家の指導制は改革する必要がある。しかし実現しなかった(沒有落實)。改革開放は正しい。ただ(実現したのは)市場経済この一条だ。しかしもし民主法治が十分行われないなら(沒有搞好),市場経済はどこに発展できるのか?
問:(これは)政治改革の時期がいまだ成熟していないからでしょうか?それともそのほかの原因でしょうか?
答:指導者は多くの良いこともしたけれど、しかし過去の悪いこと(壞東西)を徹底解決していない。そこには思考の習慣がある。(たとえば)米国人が我々を損ねようとしている、敵人がこちらを滅ぼす気持ちに変わりはない、この中には、当然なお既得利益(何を指すか不明 訳者 敵の存在をいうことで利益を得る人たちがいるということだろうか?)も存在する。
 私は88歳の誕生日に詩を一首したためた。その中につぎの両句がある。「ただ一つ憂うる天下のことは、いつ憲政は始まるのかということである」。我々は現在憲法をもつだけで、憲政(憲法つまり法律に基づいた政治)をもたない。そうでないというなら、人々(人民)の言論の自由が制限されているのか?
問:中国大陸で将来再び特殊な情況が出現して、改革開放が重大な挫折を被ることはあるでしょうか?
答:私は中国の未来に悲観もまた楽観もしていません。確かなことは中国では文化大革命のあのようなことは再び起こらない、また再び毛沢東、鄧小平p.61   と言った人も現れないだろうということです。
問:毛沢東はなお影響力がありますか?
答:唯一の良いところは現在毛沢東を論じることができることです。といっても正式なもの、あるいは公開の場合の討論はなおできないのですが、非公開(私下)なら構いません。
 我々は高度(水平)に制限を受けています。一般人は毛沢東時代にあまりにも多くのマイナスの影響を受けて、特定の意識形態を形成しています。意識形態が依存しているのは「主義」です。さらにははなはだしいのは教条です。この裏面には、(「主義」や教条が)いかなる個人のばあいも十分には、はっきりしたものではなかったことがあります(能夠搞清楚的沒幾個人)。この一組の主義はすでに憲法に書き込まれており、やっかいになっていますね(就更難辦了)。中国の現在の幹部は、本当に多くが革命の旗の下成長しています。根深く固まった革命の旗の下、事をなすこと、飛び出さねばならないこと、いずれも容易なことではありません(文革のときあるいはそのあとの世代は、むしろ価値観が崩壊しているように私たちは考えるのだが、ここで李鋭は正反対のことを主張している。訳者注記)。
 しかし否認できないことがあります。彼らは多くの良い工作(事情)についても決定したことです。たとえば過去に比べて自然環境を尊重し、農村問題の解決に努力し,和諧社会を建設する、対外的に武力を見せつけなかったこと(對外也沒那麽耀武揚威了     ここも中国は武力を対外的に示す国だと私たちが考えることと逆を李鋭は言っている。2006年頃、何か対応する事実があったかはいまのところわからない。訳者注記)、これらはいずれも良いことだ。
問:少し前に中国「和平崛起」(2003年に胡錦濤により唱えられた外交方針 訳語としては平和的台頭論 軍事力の伸びが脅威を与えるものではないとして外交戦略が平和的であると主張したもの 習近平による一帯一路構想もこの流れにある 訳注)の理論が提起されました。現在はあまり言われませんがこの提案に賛成ですか?
答:私は「台頭(崛起)」という言い方が好きではない。どう台頭するのか?この言葉は明らかにうぬぼれています(太自大)。
    米国人はノーベル賞の70%を手にしている。ドイツ人は13%を手にしている。我々は一つもない。我々は現在なお多くを外来資本に頼っている。経済発展はあまりに多くの自然資源がすり減らされている、土地の砂漠化問題はあのようにひどい。
 人の後を歩いているのだ。中国はまじめに「台頭」するとはいえない。
問:あなたは古い世代の共産党員として、胡錦涛、温家宝の世代の指導者に期待されていることはありますか?
答:意見があれば、彼らに手紙を書きます。良く書かれていれば、彼らに届くでしょう。手紙の中は主要には中国は、民主、法治、市場経済の道を歩まねばならないということ、
p.62   歴史を反省せねばならない、ということです。
 彼らは私の書物を禁止し、出版を許しませんでした。私は直ぐに手紙で彼らに問いました。現在は「以史爲鑒」(歴史を鏡とする 歴史に学ぶ 訳注)ことさえすべて不要ですか?と。
 彼らから返事はありませんが、どうでもいいのです(也沒有關係)。私は意見があれば、現在は手紙で意見を出すことが出来ます。私の電話は盗聴されていますが、語るに落ちたこと(無所謂)で、これはすべて過去の習慣です。しかし私は市場経済が変革を伴っていることは確信(深信)しています。この一点において私は比較楽観しているのです。   2006年5月



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