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ファニイメイの歴史 History of Fannie Mae

History of Fannies Mae from her Home Page   2022年9月18日閲覧

過去への誇り 将来への自信
 ファニイメイ(Fannie Mae 連邦住宅モーゲージ協会)は合衆国の住宅所有権を、(満期まで)30年、固定利率のモーゲージ貸付の導入で転換した。20世紀初頭、自宅の所有は、多くの家族にとって叶わぬ夢だった。今日でも、長期固定利率のモーゲージ(貸付)なしには、ほとんどの自宅所有者にとって頭金を貯めることは厳しく、支払期限とともに短期間で多額の返済が待ち構えている。
 大不況の間、我が国の自宅所有者の4分の1近くが返済手続き(foreclosure)で自宅を失った。銀行には単純にモーゲージ貸付をする資金がなかった。この状況に対応するために、合衆国政府はファニイメイを創設した。(そして)今日ファニイメイが果し続けている、モーゲージ市場において、流動性、安定性、支払い可能性(affordability)を作り出すという、ミッション(果たすべき使命)をファニイメイに課した。
 ファニイメイは、長期で固定利率の住宅貸付というモーゲージの新しいタイプに、銀行が融資することを支援した。革新的なモーゲージ貸付は、支払える自宅所有権への接近する権利を広げ、自宅所有者に彼らの日々の日々ノモーゲージ支払いにより確かさを提供し、住宅産業を転換させた。
 我々はファニイメイにあって、合衆国においてモーゲージ貸付を安定的m効率的、支払い可能なものにすることを支援するという我々のミッションを続けている。我々は、維持可能な住宅金融のため、責任あるリスクマネジメント維持し、(また)革新的モーゲージの回答で牽引することにより、アメリカで最も評価される住宅パートナーになろうとしている。

1938年 合衆国議会は、フランクリン・ルーズベルトのニューデイールにおけて、ファニイメイを創設した。
 大不況においては、住宅のための資金の信頼でき(reliable)安定した源泉についてのはっきりした(recognized)必要性が存在した。当時、支払い可能なモーゲージ信用は、多くの家族にとり入手不能(inaccessible)だった。

1940年代 英雄たちが住宅を買うことを支援。
 ファニイメイは、第二次世界大戦から帰還した数百萬のアメリカ兵が自宅を購入する資金を貸し付けた。国民経済は急速に成長し、ファニイメイが供給した流動性は、モーゲージの貸し手に需要を満たす手元資金を持つことを許した。

1950年代 成長と繁栄。 
 20世紀の後半を通じて、国中で住宅所有権が成長し、中流階級の勃興の燃料となった。免許法によりファニイメイは、1954年に政府機関から(政府と民間の)混合所有会社に再組織された。

1968年 ウオールストリートをメインストリートに。
 
1968年住宅都市開発法により、ファイニイメイは、合衆国議会から免許を得た、民間の株主所有会社になった。連邦予算から外されたあと、ファニイメイはその売買操作(oprations)について、株式市場と債券市場から資金を得た。

1980年代 機会の世界。
 
モーゲージ裏付け証券(MBS)の発展は、国際市場(global markets)から合衆国住宅産業に資本をもたらした。ファニイメイはモーゲージ貸付を証券化し、投資家への支払いを保証した(guaranteed)、ファニイメイはそのことを今日まで続けている。

2008年 恐慌と後見。
 
金融恐慌の間、住宅価格は暴落し、延滞は増え続けた。そして政府支援企業(ファニイメイとフレデイマック)は、投資ポートフォリオとモーゲージ裏付け証券の保証について、数十億ドルを失った。連邦政府は、ファイニイメイとフレデイマックとを、連邦住宅金融機関(Federal Housing Finance Agency)の後見の下に置いた。

2010年代 住宅業の中心。
 当社は2012年に収益性を回復した。2014年には同社が後見されて以降、受けたすべての資金を弁済した。そしてそれ以来、合衆国財務省に数十億ドルをもたらしている。


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福光 寛  中国経済思想摘記
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