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ロシア革命 農業 集団主義への転換 1925-1928

 典拠は以下であるが、かなりの長文なので、翻訳ではなく、まず要旨を述べることにする。最後に典拠の冒頭箇所だけ訳出しておく。

(要旨) 新経済計画NEPのもとで農民は食物を市場で売れるようになり、人を雇用することが認められた。これを社会主義への平和的移行を可能にするものとみたのがブハーリンである。ブハーリンは、土地貸付や雇用の自由化も主張した。大農場の方が生産余力があるとして、大農場化にも積極的だった。しかし、ブハーリンの主張は、党内に伝統的なクラーク(富裕な農場主)への敵意を無視したものだった。
 党内左派のジノヴィエフ、カーメネフは、クラークは資本主義復活の種になりかねないと、こうした農業政策に反対し、農業の集団化を主張していた。こうした左派の要求は1925年10月には自由な討議を要求する形で高まり、12月には党大会で議決が行われる。このときスターリンは、ブハーリンを支持し、トロッキーは、左派を支持している。
 背景にあるのは、一国社会主義が可能かをめぐる、スターリン=トロッキーの対立であろう。興味深いのは、このときスターリンは、党内右派の立場に立ってブハーリンを支持していたことである。
 この論争は1925年12月の党大会での議決で決着した。559対65の大差で、スターリン=ブハーリンの主張が通ったのである。これを受けてスターリンは1926年9月、ジノヴィエフ、カーメネフ、トロッキーらに対し、党から追放する脅しをかけて、彼らを完全に屈服させた。
 しかしこれをスターリンの独裁とする不満があったのであろう。1927年春、トロッキーは83人の反対派を代表して、民主化を要求する文書をまとめて提出した。また同年11月7日には、スターリンを批判してトロッキーらを支持するデモが、発生した。これに対して、スターリンは、これを党分裂の危機だと指摘。11月14日、党中央委員会は、トロッキーとジノヴィエフの党からの除名を決定した(この決定は12月の党大会で承認された)。またこのとき、75人の反対派も排除された。
 ところがスターリンはこの直後、あるいはこれと並行して、農業集団化に左旋回する。
 スターリンは、1927年の収穫の落ち込みをブハーリンの政策の失敗として非難、ブハーリンを切り捨てて、自身は農業の集団化の立場に左旋回するのである。1928年冬、独裁を強めたスターリンは、クラークの農場を没収することによる集団農場化を推進を始める。これには、クラークだけでなく、農民にも抵抗するものが少なくなかったが、露骨に弾圧された。なお農業の生産性は、集団化により却って低下したとされている。なお集団化農場は、土地が国有で農民が工場労働者のように集団雇用される形式をソホーズsovkhoz、土地の貸付を受けて農場が運営される形式をコルホーズkolvhozと呼んだ。

訳出(冒頭部分)
 1926年にJoseph Stalinは、Nikolai Bukharin, Mikhail TomskyそしてAlexei Rykovなど党内右派と同盟を結んだ。(党内右派は)数年前に導入された新経済計画NEPの拡張を望んでいたー(NEPにより)農民たちは公開市場で食物を売ることを許され、また彼らのために働く人を雇うことが許された。農場の規模を拡大した農民はkularksとして知られるようになった。BukharinはNEPがロシアの(国の)より平和で革新的な「社会主義への移行」のための枠組みを提供したと信じ、クラークに対する伝統的な党の敵意に無関心だった。
 この動き(スターリンと右派の同盟)は、党内左派であるLeon Trotsky, Lev Kamenev, Gregory Zinovievといった人々を苛立たせた。『Stalin:A Biography(2004)』の著者のRobert Serviceによれば、「StalinとBukharinは、Trotskyと左翼反対派を教条主義者doctrinairesだと断罪したrejected。…彼らの活動はUSSRを精神崩壊させるto perdition。…ZinovievとKamenevは市場経済への余りに劇的な転換に懸念uncomfortableを感じた。…彼らは、社会主義は一国で建国可能という教義へのスターリンの動きが気に入らず、スターリンが、止むことなく権力を蓄積していることに苦々しい感情を押さえつけていた。」
 KamenevとZinovievは、クラークに特化した政策を非難したー強く大きくなった農民は、都市の人々から食糧を保持し続けることは容易になり、政府からますます多くの譲歩を獲得するようになるだろうと論じた。最後には、共産主義を転覆し資本主義を再興する地位に立つかもしれないと(以下略)。



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