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中国経済学史

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2020年6月の記事一覧

一家両制 中国経済用語

 中国を考えていて、たどりつくのが、この言葉だ。家族の主人が共産党の高官であるとき、その妻や子供、果ては親類縁者が、主人の権勢を利用して、資本主義的商業活動を営むことをいう(何清漣/程曉農《中國潰爾不崩》八旗文化2017年p.51)。一家の中に社会主義と資本主義が併存する。この言葉は、一国二制度(一國兩制)という言葉を連想させる(なお写真は澤蔵司稲荷慈眼院の石仏。右側に天和三年1683年 奉供養庚申× 像の左側は二世安楽之所 の銘が読み取れる。)。  中国からの留学生と話すと

朱鎔基 株券工作座談会講話 1992/08

在部分省市股票市場試點工作座談會上的講話(1992年8月13日)。載《朱鎔基講話實錄 第一卷》人民出版社2011年,pp.204-213 朱鎔基が証券や金融について、勉強したことが伺われる。注目されるのは、日本の間接金融依存型発展プロセスを学んだことをうかがえる一節である。経済発展における、金融の在り方について、国家の指導者にこのように知識として伝わったことが明らかであるのは、大変めずらしいことではないか(写真は六義園にてヤマアジサイの群生。)。 p.204 鄧小平同志が南

朱鎔基 金融工作"約法三章" 1993/07

1993年7月2日、八届全国人代常任委員会第二次会議は朱鎔基同志の中国人民銀行行長兼任を決定した。7月5日から7日まで国務院は北京で全国金融工作会議を開催し、各地の人民銀行分行行長、専業銀行本店、中国人民保険公司の責任者、国務院関連部門の責任者などが出席した。《金融工作”約法三章”(1993年7月7日)》載《朱鎔基講話錄   第一卷》人民出版社2011年pp.307-316 朱鎔基が金融改革の担い手の先頭にあったことをうかがわせる重要文書である。(写真は六義園) p.307

朱鎔基 企業改革における国有資産流出を防止せよ 1994年11月6日

朱鎔基 企業改革中要防止國有資產流失(1994年11月6日)載《朱鎔基講話錄 第二卷》人民出版社2011年,pp.56-61  1994年11月4日から6日北京で行われた全國國有資産管理暨全國清產核資工作會議での講話の一部分。微妙で重要な問題。企業改革に伴う国有資産流出問題を論じている。最後の部分では国有資産管理局の在り方について述べている(なお写真は1週間後、1994年11月14日上海市主催の会議に出席した朱鎔基。同前書p.63より転載)。 p.56  党中央、国務院は国

朱鎔基 金融工作指導監督強化 1999/01

中央が行った省部クラスの主要幹部の金融研究グループに対する講話。加强對金融工作的領導與監督(1999年1月8日)載《朱鎔基講話錄 第三卷》人民出版社2011年pp.204-215, esp.204-209 朱鎔基の言葉は、多くの問題を指摘しながら、しかし指導者としての自信に満ち堂々としていることが大変印象的である(写真は六義園にて。2020年6月8日)。  p.204      一、我が国の現在の金融形勢の基本情況     我が国金融の状況は、二つの言い方にまとめることがで

杜潤生「中国政治の民主化」2006/02

"三個文明 齊頭并進"(2006年2月6日)載《杜潤生文集(1980-2008)》山西經濟出版社2012年pp.1427-1428   これは杜潤生がハーバード大学の費正清と行った談話から採録されたもの。民主化の主張が明確に書かれている。杜潤生が、党内の民主派とされることをよく示す文書である。ただ私たちは、中国国内の民主派を根絶やしにし中国の民主化を困難にしたのは、中国共産党自身ではなかったかという疑問をどうしても抱いてしまう(写真は史跡湯島聖堂)。 p.1427  中国は

中国特色社会主義 中国経済用語

杜潤生《堅持中國特色社會主義(2008年4月18日)》載《杜潤生文集(1980-2008)》山西経済出版社2008年pp.1468-1469 中国特色社会主義についてこれはかなり参考になる説明ではないだろうか(写真は六義園傍にある宗教団体「天心聖教」本部の施設外観。円柱は中央部が膨らんだエンタシスと呼ばれる形状。それが一列に並ぶ姿はなかなかの威容である。)。 p.1468  人類社会は技術進歩の不断の進歩により、社会構造の発展(社會結構演變)を促進する。異なる時代の生産方式