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実家の断捨離

今住んでいる神奈川県から実家のある兵庫県までドアツウドアで5時間程度かかる。JR在来線、新幹線、バスを乗り継いでのこと。

東海道新幹線での車窓は楽しい。山陽新幹線もそれなりに楽しいのではあるが、路線が新しい分線路を通す土地買収の困難なためだろうかトンネルが多くて少しイライラする。それに比して東海道新幹線の車窓は富士山をはじめ風景にバリエーションがありさまざまな工場も見えて日本の大動脈といった感がある。


いきなり話が逸れた。


昭和1桁生まれの父、その父と1歳違いの母。幼少時代に戦争を経験しそのまま戦後も経験したせいかとにかくモノを捨てることをしない。使わないモノも捨てない。それでも転勤族であった父のおかげで引っ越しする度にものは減った。減らさざるを得なかった。次に住む社宅が必ずしも広い訳ではなかったから。ところが、自分が中学入学の際に家を購入した。マンションだった。結局そこが父にとって終の住処となった。中学入学から40年以上経つ。つまり、実家は40年場所を変えていない。その間家の中はモノが増えることはあっても減ることはほとんどなかった。特に、ここ数年は床に服が散乱し、カーテンレールに服が掛けられた。押し入れの襖が開けられたままそこにも服がかけられた。


普段から部屋が散らかっている。そうなると掃除も億劫になる。モノを片付けてからでないと掃除機の出番にならないから。ホコリが溜まる。誇りはひしゃげる。家の空気の流れが悪い。要するに、波動が低く居心地が悪い。


そんな訳で実家にあまり足を伸ばしたくなかった。しかし、そういう訳にはいかなくなった。まあ端的に言えば、高齢になった母の健康面で実家に顔を出す機会が必然的に増えた。増やさざるを得なかった。そうなるとモノを捨てる抵抗勢力(=母)が弱まったことを機に断捨離を決行することにした。


実家に帰るとまず何をするか。


ありとあらゆる排水溝をキレイにする。キッチン、洗面所、お風呂。必ずという訳ではないが、ベランダの排水溝も何ヶ月かに一度はする。水の流れを良くすることで気分がスッキリするからだ。流れが良くなると気も高まり全てが循環する。そんな気がする。


排水溝の掃除をしてから本番の断捨離を始める。押し入れの奥にあるものを次々と引っ張り出す。13年前に亡くなった父の服があちこちから出現する。亡くなった際に父が占領していた1部屋を片付けするに相当苦労したと母がこぼしていたがまだまだ取りこぼしが残っていた。それだけではない。自分の幼稚園時代の先生とのやり取り、小学校時代の証書(学級委員を命ずるとかなんとか)、中学時代の服、高校時代の通信簿や制服。弟のモノも同様。更に押し入れの奥には両親が結婚した際の母の実家が用意した(?)客用布団。和服の数々。もう明らかに40年は使っていないモノが溢れていた。いや。使っていないものしか無かった。これではモノにも失礼である。使ってくれないじゃない、という怨念が溜まりに溜まっている。怨念が込められたモノを感謝と共に捨てる。その作業にひたすら勤しんだ。


まだ道半ばである。がしかし、リビングの床に服が散乱している状況からは少なくとも脱することが出来た。なんとなく実家に帰るのに心がざわつくことがこれからは避けれそう。


もう一踏ん張り。

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