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健康な人と健常者

市民プールに以前通っていた。その施設はプールは1階にあり、受付やゲートは2階にあった。2階に上がりチケットを買ってゲートをくぐり1階へ降りて着替えてからプールに向かう。

受付の反対側にエレベーターがあった。エレベーターに入る入口横に「健康な人は階段を使ってください。」と張り紙がされていた。最初何を言っているのかはてな(?)だった。一瞬の間をおいてああ、健康な人とは健常者のことを言っているのだなと理解した。身体に障害を持つ人が使うエレベーターです。健常者は階段を使ってください。というわけだ。
そもそも健康でなければ、例えば体調が悪ければプールに泳ぎに来ることはない。なので健康な人がエレベーターを使えなければ誰も使えないことになる。最初張り紙を読んだときは何を言っているのかさっぱり分からなかったが選ぶ言葉が本来の意味と少し違っていただけのことだった。

これは単純な言葉の選び方を間違えていた例である。ただ、人権が重視されその人権の意味が時代と共に変わっていく現代は言い方や言葉をちょっとでも不適切な表現で使うと致命的になりかねない。英語でも身体障害者のことはhandicaps やdisabilitiesとか表現していたのがchallengedと言い換えられてきたりしている。マイナスイメージを払拭しポジティブな表現に変わっている。

表現を変えて意識も同時に変わるならそれはそれで良いことだと思う。ただ、万一意識は変わらず言葉だけ変えるなら表に出るものと出ないものに差が出てきて歪みが生じるのではないか。歪みが積もり積もればいつか爆発して破壊が起きる。タブーというのはそんな社会の歪みの一種ではないか。一瞬戸惑った張り紙をふと思い出してとりとめのないことを感じた。


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