見出し画像

『全知無能の神に代わって』第五話「疑惑」

 人払いをした執務室は、重苦しい沈黙に包まれていた。
 三人の聖女候補の聴取をした教徒達からの報告は端的だった。聖痕と神託に相違なし。三人とも自分こそが次代の聖女だと主張している——報告を受けたシャーロット大司教は額に皺を寄せ、窓の外の景色を眺めた。雲一つない青天は、本来ならば「次代の聖女誕生を祝福している」と解釈されただろう。が、今の状況では皮肉のように思えた。
「三百年の歴史を誇る至聖神殿でも、このような事態は初めてです」
 振り向いたシャーロット大司教は沈痛な面持ちで、リリエルとマルクト大司祭に告げた。
 創造と生命を司る女神ミアは、あまねく世を祝福するために自らの力と意志を一人の娘——聖女に託す。神の代理人である聖女は、女神の御心を人々に伝え、大いなる神の力をもって奇跡の技を行う。
 聖女の選出基準は不明。聖女の任期も不規則。現聖女の存命中に新たな聖女が選出され『代替わり』が行われることもあれば、聖女が死んでから次代の聖女が選出されることもあった。
 全ては神の御心のまま、人の身ではかり知ることはできない。
 ただ、神が聖別する聖女は一代に一人だけだった。二人以上同時に選ばれることはなかった——少なくとも、この三百年は。
「いかがいたしましょう。これでは聖別の儀も執り行えません」
 マルクトが硬い表情で訊ねる。実直さを絵に描いたような男だった。信仰が揺るぎない分、融通が利かない。
「儀式どころの話ではないでしょう。一人しか選ばれないはずの聖女が三人も……」
「聖術を用いれば、聖痕は複製可能です」
 延々と続きそうな嘆きをリリエルは強引に遮った。もの言いたげなマルクトの視線は無視黙殺。疑問は尽きず、状況は変わらない。ならば、あらゆる可能性を考慮した上で解決方法を探るしかないのだ。
「私の聖痕も本物とは見分けがつきません。問題は、神託の内容が同じだということです。女神ミアの御声は聖女以外は聴こえません。神託を受けた聖女本人が漏らさない限り、誰にもわからないはずです」
「三人が示し合わせている可能性は?」
 ベローナ、セシル、カリンの三人の顔が浮かぶ。平民の娘に名門貴族の娘、そして商家の娘と生まれこそ違えど、神殿に献身した頃からの幼馴染だ。必要ならば示し合わせるくらいの共謀はするだろう。
「理由が見当たりません。三人仲良く聖女になれると思っているのなら別ですが」
「冗談を言っている場合か。前代未聞の事態だというのに」
 噛みついてきたマルクトをリリエルは冷たく見据えた。
「前代未聞は今更です。そもそも聖女がマレ教徒に攫われたことは初めてですし、挙句聖女が殺されたことも、その事実を隠蔽して双子の姉に身代わりをさせることだって、今までなかったでしょう」
 言外に無能と言われたマルクトは顔を真っ赤にした。 
「な、なんという言い草だ!」
「嫌味を言っている場合ではありませんよ、ルルニア。リリエルのことは本当に残念ですが、今は一刻も早く新たな聖女を立てなくては」
 シャーロットがリリエルをたしなめたことで溜飲が下がったのか、マルクトは鼻を鳴らして引き下がった。
「あなたが身代わりだと発覚すれば、必然的にリリエルが亡くなったことも露呈します。女神ミアの聖女が、邪教徒の手によって殺されただなんて、絶対にあってはならないことです。何が何でも隠し通さねばなりません」
「となると、本物の聖女を見つけ出すのが急務ですね」
「ええ、私はあなたが適任だと考えています」
 シャーロットは期待に満ちた眼差しを向けた。
「あなたほど聖女をよく知る者はいません。先代の聖女リリエルのそばで仕えていたあなたならば、本物と偽物のわずかな差異にも気づくかも」
「シャーロット大司教様、この者はただの身代わりで、しかも賤民です。大役をお任せになっては」
 即座に異議を唱えたマルクトを、シャーロットはたしなめるように言い聞かせた。
「無論、神殿の総力をあげて次代の聖女を見定めねばなりません。表向きにも筆頭に立つべきは現聖女である『リリエル』でしょう」
「微力ながら解決に努めます」
 リリエルは折り目正しく礼をした。言われなくとも率先して『聖女探し』をするつもりだった。好都合だ。
「ですが、かなり難しいかと。長年秘匿とされていた『聖女』のことを詳しく知る者でなければ、今回の件は起こせません」
「そこが一番の問題点です。聖女リリエルが殺され、次代の聖女が三人現れた。偶然とは考えられません」
 マルクトの認識は甘い。賤民で、ただの身代わりに過ぎない『偽者聖女』に頼らざるを得ないほど、事態はひっ迫しているのだ。前代未聞の事態だというのに、執務室にシャーロット含めて三人しかいないことが何よりも事の深刻さを物語っている。
「仮にこれら全てがマレ教の仕業だとすれば——」シャーロットの声が沈む「神殿内、それも中枢に近い人間の中に邪教徒に与した『裏切り者』がいるということになります」
 誰も彼もが疑わしい状況で、裏切り者がこれ以上工作をしないよう、迅速に動かなければならない。混乱の中で本物の聖女が再び殺されるようなことはあってはならないのだ。
「『燔祭』を行うのはいかがでしょうか」
 リリエルの提案に、シャーロットは目をしばたいた。
「燔祭は聖女が聖別されてから行うものですよ?」
「ええ、ですから三人共聖別しましょう。その上で供物を用意させて燔祭を行うのです。本物の聖女の供物を焼き尽くした後には『女神の紅涙石』が出現するはずです」
 リリエルは自身の右手を握った。黒手袋の下には女神の聖痕がある――あの三人の聖女候補達と同じように。
「あいにくリリエルの紅涙石は攫われた際に失われてしまいましたが、歴代の聖女の紅涙石と比較することができるはずです」
「なるほど。前例のないことではありますが……そうも言ってられませんね」
「大司教様!」
「マルクト大司祭、聖別の儀と燔祭の儀の準備をお願いします」
「で、ですが!」
「異議があるのなら代案を。ないのなら沈黙なさい」

第六話:https://note.com/hiroshi_agata/n/n2c9fcde95868

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?