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『全知無能の神に代わって』第六話「画策」

「あーいいなあ」
 目の前に広がる粗末な朝食に、シャオはため息を吐いた。
「この野菜クズがちょっと入っただけの薄味スープとか、歯ごたえのありすぎるパンとか……なんというか、つつましいというか、質素倹約な感じ?」
「食べられるだけありがたいと思いなさい」
 向かいに座るリリエルは冷然と言い放った。その前にはシャオと全く同じ献立が広げられていた。
「にしたって、もうちょっとあるだろ。魚とか肉とか」
「朝はパンとスープで十分。それ以上は腹の驕りよ」
「盗賊ギルドの雑用の食事より貧相だぞコレ」
「あいにく今日はまだマシよ。虫や異物が混入されていないもの」
 シャオは手元の塩の味しかないスープを見下ろした。よもや野菜クズと虫を間違えるような失態は犯さないだろうが、想像していたものとの落差が大き過ぎた。
「……あんた、本当に聖女?」
「賎民出身の聖女の扱いなんてそんなものよ」
 リリエルは気にした素振りもない。鉄面皮を絵に描いたような聖女だ。
「お食事中失礼いたします」
 ノックの後に使用人が入室。その手には皿に盛られた果物があった。 
「セシル様からこちらの野イチゴをお届けするようにと」
「賄賂?」
「いくら私でも野イチゴで買収されるほど安くないわよ」
 目の前にいる使用人なぞ気にも留めず、リリエルは素っ気なく言った。
「単なるご機嫌取りでしょう。セシルらしいわね」
 燔祭の儀を終えてからの聖女候補の反応は、実にわかりやすかった。
 他の二人を蹴落とすためにシャーロット大司教やマルクト大司祭他の高位の聖職者――そして表向きは現聖女の『リリエル』を味方につけようと躍起になっている。
 今朝はカリンから使者が訪れ「相談したいことがあるから部屋に来てほしい」とのお呼びがかかった。カリン自身が足を運ぶのではな、くリリエルに来させようとしている。明らかに見下した態度だった。
 その点、セシルの対応にはまだ好感が持てた。少なくともこちらに礼儀を払うつもりはあるらしい。ベローナも昨日、ご機嫌伺いにやってきた。
「で、では私はこれで……」
「ありがとう。セシルによろしく伝えておいて。後で御礼に伺うわ」
「はい。失礼いたします」
 そそくさと使用人は退室した。気配が遠ざかったのを確認してから、シャオはテーブルの中央に鎮座する野イチゴに胡乱な眼差しを注いだ。
「ご機嫌取りならもっと高級な果物があると思うんだが」
「私が昔、野イチゴが好きだと言ったのを覚えていたのね」
 細い指が赤いイチゴを一つ摘まみ、差し出した。
「お一つどうぞ」
「あ、どうも」
 シャオは素直に受け取った。特に好きな果物ではないが、硬すぎるパンよりはマシだった。
「いただきます」と言って口に放り込んだ時だった。
「気づいていると思うけど毒入りよ」
 舌が痺れを感知する前に吐き出した。丸呑みは逃れたが、シャオは盛大にむせた。
「口に、入れる、前に、言ってくれ!」
「頼りにならない護衛ね」
 悪びれるどころか、失望を露わにリリエルは眉をひそめた。
「俺が死んだらどうしてくれんだ」
「聖術で解毒して差し上げますのでご心配なく」
「あのなあ……っ!」
 激昂しかけて――その無意味さをシャオは悟った。
「——もう、いい。それより、」
 ばたりと、音がした。
 向かいに座っていたはずのリリエルの姿が消えていた――倒れたのだ、と理解するのに時間を要した。
「……リリエル?」
 椅子を蹴り飛ばし、テーブルの上を飛び越える。苦悶の表情を浮かべてリリエルはうずくまっていた。にわかには信じがたい光景だった。
 毒見はした。他ならぬシャオが、だ。見落としていたのなら、リリエルの前に自分が倒れているはずだ。
「おい」
「なるほど、」
 額に汗を浮かべつつもリリエルは笑んだ。皮肉気に。
「そう、きた……のね」


 闇の中でルルニアは夢を見た。遠い、幼い頃の夢だった。
『いつまでも泣いてたってしょうがないでしょう』
(だって、だって……)
 ぐずるリリエルはおそらく十かそこらだろう。
 昔からずっと妹はよく泣いた。成長するにつれ、人前で泣くことが減っただけで、泣き虫自体は克服できていなかった。
『娼婦の子だって言われたくらいで……泣き虫』
 人差し指で、涙に濡れた頬をぷにっと押してやる。
『ほーら、野イチゴあげるから食べて元気出しなさいよ』
 とっておきの野イチゴを口に入れたリリエルは顔をしかめた。
(う……すっぱい……)
『酸っぱいからいいの。あー美味しい』
 これ見よがしにルルニアは自分の口に野イチゴを放り込んだ。
『リリィ、気にしちゃダメよ。母さんが娼婦でもいいじゃない。私がいるんだから。私も娼婦の子よ。私も賎民よ。双子なんだから、あんたと同じ。ずっと、一緒よ』
 甘さよりも酸っぱさの強い野イチゴは、ルルニアの好物だった。これ以上の甘いものを幼いルルニアは知らなかった。
『……いつか、大人になったら、お腹いっぱいの野イチゴ食べさせてあげるから』
(パンがいいよ)
 ちゃっかりと自分の希望を言うあたり、リリエルもふてぶてしい。 
『野イチゴでジャム作ってパンに塗ってあげる』
 愛しかった。優しくて、頼りなくて、泣き虫な妹が。その弱さが愛おしかった。
『お砂糖たっぷりの』
(……本当?)
『期待しといて』
(ずっと、一緒?)
『当たり前じゃない』
 ルルニアは笑って断言した。
『どこまでも一緒よ、私達は』
 そう信じて、疑っていなかった――幼い日の夢だった。

第七話:https://note.com/hiroshi_agata/n/nadd2adc1afae

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