『全知無能の神に代わって』第七話「末路」
何者かが盛った毒によって、現聖女リリエルが倒れた。命こそ辛うじて保ってはいるが、いつ尽きてもおかしくない――深刻な状態だった。
生死の境をさまようリリエルを除いた関係者全員をシャーロット大司教は執務室に呼び集めた。
「一体誰がこのようなことを」
額に手を当てるシャーロット大司教に、マルクト大司祭が厳然と告げた。
「給仕の者の話によると、毒が入っていた野イチゴはセシルが運ばせたものだとか」
その場にいた全員の視線が一斉に向けられる。セシルは後ずさった。
「セシル、あんたまさか」
呆然と呟いたカリンに、セシルは反論した。
「そんなあからさまに毒を盛るはずがないでしょう」
「じゃあ誰がやったって言うのよ!」
「それは……っ!」
セシルは口をつぐんだ。容疑者は多い。が、それゆえに全く見当がつかなかった。
「ひとまず、セシルは別室に。部屋を調べます」
マルクト大司祭は小さく頷き、神官兵達を呼んだ。問答無用で連行され、閉じ込められる。調査と言いつつも扱いは容疑者に対するそれだった。
「私ではありません。リリエルに毒を盛るなんて、そんな恐ろしいことを」
「調べればわかることです。捜査に協力しなさい」
その一部始終をベローナは眺めていた。見ていることしかできなかった、というのが正しい。
シャーロット大司教より一旦自室に戻るよう指示されて、退室してもなお、実感がわかない。壇上で行われる芝居をただ見ているだけのような現実味のなさだった。
「セシルが毒を……?」
「可愛い顔してえげつないわね」
「まだそうと決まったわけじゃない」
リリエルの護衛――たしか名はシャオとかいったか。どこか軽薄な雰囲気を持つ青年が指摘する。
「誰かに罪を被せられたのかもしれない」
「いずれにせよ、お粗末なことね」
「部屋に戻るわ。燔祭も終わったことだし、あとは三日後の結果を待つだけでしょう?」
言うなり、カリンは踵を返した。その足取りはいつもよりも軽いようにベローナには思えた。
「わ、私も、これで……」
「あ、待った」
呼び止められて、ベローナの肩が跳ねた。自分でもそうとわかるくらい大げさな動揺だった。が、シャオは気にせず訊ねてきた。
「ちょっと聞きたいんだが」シャオは声を潜めた「最近何か変わったことはないか?」
「え?」
「使用人が変わったとか、何か物がなくなっていたりとか、どんな些細なことでもいいんだ」
「質問の意図がわかりかねます」
「他意はないんだ。ただ……リリエルが君のことを気にしていたから」
ベローナは目をしばたいた。幼馴染とはいえ、ベローナはリリエルともルルニアとも特に親しくはない。カリンがリリエルをいびっている様を遠巻きに見ていただけだ。
「リリエルが、私を……?」
「次に狙われるのは君じゃないかと心配していたよ」
「まさか」
思わず口から飛び出た言葉に、シャオは小さく笑んだ。
「どうして『まさか』なんだ。セシルが犯人とまだ決まったわけじゃない。真犯人が別にいるとしたら、次に狙うのは三人の聖女候補の内の誰かだ」
「リリエルに個人的な恨みがある人かもしれないでしょう?」
むしろ個人的な恨みのある人の方が多いとベローナは踏んでいる。何せ、卑しい浅民の分際で聖女になったのだ。神への冒涜とみなす教徒は大勢いる。
「そうだな。でも、そうじゃないかもしれない。むしろ単なる個人的な恨みなら、選別中のめちゃくちゃ緊張状態の時に狙う必要はないんじゃないかな。あるいは――」
シャオは目をすがめた。
「危険を犯してでも、一刻も早くリリエルに消えてほしかった……とか?」
「一体なんのことだか」
ベローナは半ば強引にシャオの隣をすり抜けた。これ以上、この男と話すのは危険だと判断した。シャオも無理に引き留める気はないようだった。
「もし、俺がリリエルに毒を盛るよう仕組んだ犯人だとすれば、秘密を守るために確実な方法を選ぶ」
自室に向かっていた足が止まった。頭の中で鳴り響く警鐘よりも『秘密を守る』という言葉がひっかかった。
シャオの口ぶりは、まるで犯人が複数いると確信しているようだった。
「確実な方法?」
「簡単なことさ。秘密を知る人間が多ければ多いほど、漏れる可能性は高くなる」
シャオは片頬を歪めて笑った。
「だったら、秘密を知るのは、自分だけでいい」
笑みを含んだ声音が、恐ろしく冷たく響いた。ベローナは自身の腕を掴んだ。そうでもしないと震えてしまいそうだった。
「何か思い出したことがあったら、いつでも言ってくれ」
燔祭から二日後の夕方。哀哭の日を翌日に控えてもリリエルが目覚める気配はなかった。セシルも軟禁されたままだ。
「意外とあっけなかったわね」
自室で香草茶を飲みつつ、カリンは呟いた。毒で意識不明のリリエルは致し方ないとはいえ、貴族の令嬢であるセシルならば実家の力を使うなり何かしら打開策を練ってくると思っていた。が、不気味なくらい静かだ。
「何もルルニアまで殺さなくても……」
「今さら言わないでよ。もう遅いの」
暗い表情で言うベローナを、カリンは一蹴した。
「だいたい、娼婦の娘が聖女だなんて、神への冒涜以外の何物でもないわ。邪教徒どもが始末したと思ったら、今度は姉っ! 本当にしぶとくて図々しい奴らだわ!」
「カリン、声を抑えないと」
「何よ。みんなだって内心では同じことを考えているくせに。穢らわしい賎民風情が聖女になること自体、間違っているわ」
罪悪感はまるでなかった。自分はただ、誰よりも正直なだけ。セシルやベローナのように本音を隠して取り繕う者の気が知れなかった。
「でもこれで害虫は消えたし、セシルもあのザマ。聖女は決まったようなものね」
「でも、どうして神託がセシルにも?」
「さあ? セシルのことだから人を使って調べさせたんじゃないの? ほんと浅はかというか、馬鹿なんだから」
「そう、なのかな……?」
どうにも腑に落ちないベローナ。何を考えても無駄なのに――という内心をおくびにも出さずに、カリンは穏やかな口調で言った。
「大丈夫よ。あんたが隠れ蓑だってことは、燔祭が終わり次第、みんなに言うから。リリエルのことがあったんだもの、非難されはしないわ。それよりも、こうして二人で話していることがバレたらまずいわ。今日のところは解散しましょう。香草茶でも飲んでぐっすり寝ればもう明日――哀哭の日よ」
「そういう筋書きだったのですか」
するはずのない声に、カリンもセシルも弾かれたように立ち上がった。
「リリエル……っ!」
扉の鍵を解除した方法を問う余裕も、ノックのない無礼を咎める間もなかった。
唯一の護衛役であるシャオを引き連れた現聖女――リリエルが何事もなかったかのように入室した。
「ごきげんよう、お姉様方。素敵な贈り物をどうもありがとう。おかげでぐっすり眠ることができましたわ」
「そ、そんなはずないわ!」
「『そんなはずはない』? では、どんなはずだったのでしょうか。私が飲んだ毒がどのようなものか、何故あなたが知っているのですか?」
カリンは歯噛みした。答えられるわけがない。
「上手いこと考えたな」
シャオが感心したように言った。
「あからさまに毒入りの野イチゴを届けて、それに気を取られたところに本命の毒が息の根を止める」
「何のことだか」
「スープやパンじゃなくて、食器に毒を塗るってのもいい案だ。毒味役はスプーンまで確認しないからな。まんまとしてやられたぜ」
「ベローナ、あんた裏切ったの!?」
「違うわ、私は何も」
「ベローナはまだ、何も言ってませんよ」リリエルは端的に指示した「シャオ」
「へいへい。さっきちょっとベローナの部屋にお邪魔して、失敬してきたんだが」
シャオが取り出したカップはベローナがいつも使っているものだ。カリンは自分の血の気が引いていくのを感じた。
「このカップに香草茶を入れまして」
芝居がかった仕草で茶を注ぎ、カリンに差し出した。
「カリン様どうぞ、お召し上がりを」
「うっ……」
一見何の変哲もない香草茶を前にして、カリンは動けなかった。
「飲めないよな?」
「カリン……あなた、まさか、私にまで毒を……」
「これは陰謀よ!」カリンは怒りに震えた「ルルニア! 小細工で私を陥れようたってそうはいかないわ!」
「私はリリエルです。間違えないでください」
リリエルは涼しい顔で訂正した。
「冤罪かどうかはこれから調べればよいことです。もうすぐ司教と神官兵達がこの部屋にやってきます。あなたの身柄を拘束して取り調べを行うことが決定しましたので」
「な――!」
カリンは空いた口がふさがらなかった。拘束。取り調べ。それではまるで犯罪者のようではないか。
「こんなことをして、タダで済むと思っているの!? 私は聖女よ!」
「聖女だなんてとんでもない。あなたはただの人殺しです。忌むべき背神者として裁かれ、家名は地に落ちる。あなたの愚行は子孫代々に語り継がれることでしょう」
「この……穢らわしい賎民風情が、よくもっ!」
掴みかかろうとしたが、シャオに阻まれる。
「ええ、そうね。穢らわしい賎民風情によって、あなたは破滅するのよ」
リリエルは酷薄に笑んだ。聖女のそれとは似ても似つかないほど、禍々しい笑みだった。
「薄汚い罪人には相応しい末路だと思いませんか?」
事の顛末を聞いたセシルは、複雑な表情を浮かべた。
「カリンが犯人だったなんて……たしかに実家がお金持ちであることを鼻にかけていたけど」
自らの無実が証明されたのは喜ばしいことだ。が、仮にも神殿に献身した頃からの幼馴染がリリエルを毒殺しようとし、さらにその罪を自分に着せようとした衝撃は、想像以上に大きかったようだ。
「もしかして本物のリリエルをマレ教徒に売ったのも」
「ありえなくはないですね。カリンは身分の低い賎民が聖女になることに、納得していなかったようですから」
「恐ろしいことだわ」
セシルは震える自身を抱きしめた。
「でも、これでハッキリしたわね。私が本物の聖女ってことでしょう? 消去法だけど」
「ベローナはカリンに言われて神託を聞いたふりをしていた、と本人が証言していますから、そうなりますね。仮にカリンが本当に女神ミアの御声を聞いていたとしても、人殺しを聖女にするわけにはまいりません」
「あとは明日の燔祭が終わればいいのね」
燔祭の炎が消えた時、青い紅涙石が出現する。それが聖女の証だ。
「ルルニア、あなたのおかげよ。カリンの企てを阻止してくれてありがとう」
「礼には及びません」
「では、また明日。燔祭場で会いましょう」
去り行くセシルの足取りは軽い。明日が待ち遠しいようだ――自分と同じように。
翌日、セシルの祭壇に紅涙石は出現した。
しかしその色は血のように赤く、黄泉の女神マレの聖女誕生を示すものだった。
第八話:https://note.com/hiroshi_agata/n/nf91be3cace56
イラスト:尽
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