2010年ウラジオストク→ハルビン国際列車旅行(船の中編)
以前、富山からウラジオストクへ行く海賊船まがいのフェリーを紹介したが、どうもロシア人の富山での素行が悪かったのか、冷戦時代にも存在していた由緒あるこの航路は、ついに廃止されてしまった。しかしながら捨てる神があれば拾う神があるのか、環日本海経済圏といった、平安朝期の渤海王朝以来ありもしない幻想に乗っかってしまったある韓国企業が、鳥取県の境港と韓国の東海(トンヘ)、ウラジオストクを結ぶ航路を就航させた。数年前のロシア行き船の体験がとても楽しかったので、ハルビンまでの中露国際列車乗車体験とからめて乗ってみることにした。
まず鳥取県の米子に行かねばならないが、米子は遠かった。米子から境港までは1両編成のローカル線に乗っていくが、境港が鬼太郎の作者水木しげると縁があるらしく、全部の駅に、鬼太郎にちなんだ愛称がつけられていた。富山の時も同じような状況で、最寄の駅が高岡からのローカル線の氷見線で、ここは藤子不二雄と縁があるらしく、列車には忍者ハットリ君の絵が描かれてあった。車内には、これから海外行きフェリーに乗るような雰囲気の人はいなかった。
終点の境港駅、愛称鬼太郎駅からは、乗り場行きシャトルバスがあるとのことだったが、やってきたバスは、どこかのレンタカー会社から調達してきたようなマイクロバスだった。日本人ビジネスマンと日韓露以外の旅行者合わせて10人ほど乗り込んだ。
フェリーターミナルは、とってつけたようなプレハブの建物だったが、富山港は建物さえなかったのと比べると、一応鳥取県的には力を入れている航路のようだが、何か空回りしているような気がする。
中でチケットを受け取ることになっているが、窓口にいたのはロシア人。日本語しかろくに話せないくせに、何語で話そうかと一瞬考えてしまったが、日本語で大丈夫だった。しかしながらなにゆえにロシア人が番をしているのか?
始め待合室にいたのは、大部分はロシア人、そこにシャトルバスで我々が到着し、最後に韓国人団体客を乗せたバスが何台かやってきた。一体どこを周ってきたのだろう。乗船客は5割韓国人、4割ロシア人、残りが日本人を含むその他。日本人はビジネスマンが5人くらいと、交流事業っぽい中学生とその引率が5人くらい。旅行者は私以外には一人いたが、日本人は私以外皆韓国で降りてしまった。その旅行者は無愛想な人で、一度話しかけたが応えてくれず、気まずい空気が残った。韓国人は全員団体で、旅行会社から支給されたらしいおそろいの帽子や服を着ている。フェリーには大部屋もあり、そこでは彼らはクーラーボックスまで持ち込んで、雑魚寝状態でみんな大はしゃぎ。修学旅行みたいな雰囲気だ。正直鬱陶しい。私のような日本人には一切無関心で、船にいる間孤独だった。
船内は若干エアコンが効きすぎていて、鼻風邪をひいてしまった。結局ひたすら持ち込んだ文庫本を読んで過ごしていた。食事は有料で、3食ともバイキングスタイル。船内放送で韓国語、英語、ロシア語、日本語で案内される。日本円も使えるが、この時は韓国ウォンを持っていて、ウォンの方が安かったのでウォンで支払った。うまくもまずくもなかったが、基本味がワンパターンで飽きた。たまにカップラーメンも食べたが、辛いのしか目につかなかった。ちなみに、ロシア到着後は朝食以外は韓国製カップラーメンばかり食べていた。
船内にはファミリーマートや免税店があったが、欲しいものは何もなかった。というより、何を売っていたのか思い出せない。檜の湯船のある大浴場があったが、なんとなく入る気になれなかった。
東海は日本海に面した東海岸の街。韓国では日本海という言葉はタブーだ。ぱっと見は日本の産業港と雰囲気が変わらない。つまらない景色。ここで数時間停泊。ロシア人のお嬢さんが数人、甲板で水着になって日光浴していた。韓国人は皆降りていき、また同じくらいの韓国人が乗ってきた。ウラジオストクから中国に入ってそれほど遠くないところにある、朝鮮民族の聖地ペクトサン(白頭山、中国語長白山)という観光地に行くのだろう。ずっとヒマなので、日本へ電話してみようかと思ったが、さすがに洋上では電波が届かない。この旅は、船上では会話相手がいなくて孤独を味わい、その後に乗ったハルビン行き国際列車は乗客が誰も乗っていない幽霊列車で、やはり孤独だった。誰とも会話したくないが旅行には行きたいという方に、あと、修学旅行にもお勧めのコースである。
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