見出し画像

1991年ソ連旅行(1)

 中学高校の頃から漠然と関心を持っていたトルコ・イスラム世界。その歴史をもっと知ってみたいと思い、史学科のある大学まで進んではみたものの、研究者としてやっていくにはどうにも能力が足りないと見切りをつけたのですが、世界旅行ならお金と時間さえあればできるだろうということで、今回はその旅行の第1弾です。

 私は大学時代にアメリカンフットボール部の選手をしており、かつ自分なりに研究者になるための勉強を平行して行っていたのですが、結果的には虻蜂取らずとなってしまったため、4年時の卒業論文の提出もあきらめてしまいました。5年生が決定(留年ともいう)し時間ができたので、ならばいっそのことなかなか行けないところ、そしてトルコ・イスラム世界関連のところということで、ソ連領中央アジア(今のウズベキスタン共和国)に行くことに決めました。卒業旅行ならぬ留年旅行です。

画像1

 写真は、地球の歩き方ソ連編。具体的な旅行情報はほぼこの本からのみ仕入れました。ソ連を旅行するにはビザが必要ですが、そのビザを取得するにはソ連の旅行社(インツーリスト)にあらかじめ利用するホテルや飛行機鉄道の予約とその代金払い込みを証明するバウチャーが必要で、それらの手配が日本でできるのはごく限られた旅行社でした。ですのでいわゆる自由旅行はできません。希望の旅程をリクエストすることはできますが、必ずしもそれが通るとは限りません。またそもそも旅行者が訪れることのできない街もあります(例:ウラジオストク)。(下記写真:上右から時計回りで、パスポート、ソ連国内線航空券、ビザ、バウチャー。ピンボケ過ぎてごめんなさい。)

画像2

 そんな面倒くさいシステムだったのですが、それでも行きたかったのですから、当時は若かったのですね。そしてソ連に入国する前に、中国の東北地方にも足を延ばし、そこから鉄道でソ連に入ろうとしたのですから、これはもうちょっとした冒険です。こうして出来上がった日程は以下のとおりです。1991年のことです。ちなみにこの年にソ連は崩壊しました。
4月11日 国際フェリー 神戸港→
4月12日           →
4月13日           →天津港
4月14日 鉄道 天津→
4月15日      →瀋陽
4月16日 鉄道 瀋陽→長春
4月17日 鉄道 長春→
4月18日      →北京
4月19日 北京滞在
4月20日 国際列車 北京→
4月21日        →
4月22日   (満洲里)→(ザバイカリスク:ソ連入国)
4月23日        →イルクーツク
4月24日 飛行機 イルクーツク→タシケント→サマルカンド
4月25日 サマルカンド滞在
4月26日 サマルカンド滞在
4月27日 飛行機 サマルカンド→ブハラ
4月28日 ブハラ滞在
4月29日 飛行機 ブハラ→ウルゲンチ
4月30日 ウルゲンチ滞在
5月 1日 飛行機 ウルゲンチ→タシケント→
5月 2日                →ハバロフスク
5月 3日 国際線 ハバロフスク→新潟(帰国)
 当時ソ連はまだアメリカから「悪の帝国」呼ばわりされていたほどの国でしたので、この日程を知った人からは本気で「お元気でね」とのお言葉をもらいました。ちなみに当時の私は(今も)英会話はダメ、中国語はできない、ロシア語は読むだけ、かろうじてウズベク語に近いトルコ語をほんの少し知っている程度。やはりこの旅行は無謀だったか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?