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1991年ソ連旅行(ソ連概略版)

 大学5年生に留年旅行をした。中国東北、東清鉄道、イルクーツク、中央アジア、ハバロフスク、新潟というルート。この年の夏にソ連が崩壊。崩壊寸前のソ連経済を体感した。

 ソ連旅行は全てホテル、飛行機などを事前手配しないと原則ビザが下りない。当時のレートは、1ルーブル250円。ぼったくり。ところが現地レートでは1ルーブル4円。闇レートにあわせたのかもしれない。これが実勢レートだろうが、あまりの差に、そのニュース自体が信じられなかった。このころ、ソ連ではタクシー代をマルボロひと箱で払うという、「通称マルボロ払い」がまかり通っているというニュースが流れていたので、自分も1カートン用意していったが、結果としてはあまり活躍しなかった。

 中ソ国境(満洲里-ザバイカリスク)の田舎町は、昔の無敵関東軍の最前線。時代が変わったが、中ソも決して仲がいいとはいえない。国境超えは感慨深かったが、ゆっくりと走る列車の中で結構緊張していた。列車が止まると白人が乗り込んできた ソ連だから当たり前なのだが、ちょっと移動しただけで人種ががらりと変わるのはちょっとした驚きだった。

 列車のコンパートメントの中でソ連の入国審査を受けた。パスポートを渡して係官から「イイダヒロシ」と呼ばれて、「イェス」と言って、あわてて「ダー」と言ったら、ニヤッとされた。両替所で、何人かが苦笑いしながらものすごい厚さの札束を抱えて銀行から出てきた。ルーブルの価値が落ちたのを知らなかったのかもしれない。その時はうかつにもドルを持っていなくて、日本円を見せたらおばさんが「ニェートニェート!」と叫んだ。日本円はダメらしい。それにしてもそんな大きな声を出さなくてもいいのに。

 一文無しでソ連に入ってしまった。列車の中は何人もの闇両替屋がうろうろしていた。うさんくさい連中と思っていたので、まるっきり相手にしなかった。

 国境駅を出発したら、突然腕時計のアラームが壊れた。アラームが鳴りやまない。うるさくて困っていると、隣の部屋の車掌が何やら腕時計を指さして、なにやら言ってきた。車掌はロシア語しか話さないが、ゼスチャーから判断すると、どうやらそれを売って欲しいらしい。こんな壊れた時計でも売り物になるのかと、ちょっとした驚きだったが、こちらとしては全く異存ない。しかしながら相場がわからないので、全くのあてずっぽうで50ルーブルならと言ったら、意外にもあっさりと商談成立。しまった!安売りしてしまったかもと思ったが、1時間ほどずっとアラームが鳴りっぱなしだったので、ちょっとだけ悪かったかなとも思った。しかしながら一体どうやって音を止めたのか。こうしてルーブルを手に入れることができたが、おそらくソ連では経済犯罪行為だろう。

 イルクーツクで下車し、ホテルにチェックインする時ひと悶着あった。ハバロフスクやモスクワと違って、この街からソ連旅行を開始する外国人は少ないからか、自分が持ってきた、国外で発行されたバウチャーを、コピーではないかと疑われた。本当にたまたますぐそばにいた人物が日本語ぺらぺらで、通訳してくれたので助かった。その初老の人、ぱっと見は東洋人っぽいが、結局何人なのかはわからなかった。最近ここらで行われた、大黒屋光太夫を題材とした映画「おろしや国酔夢単」の撮影のスタッフもしたとのこと。

 イルクーツクのホテルで2千円だけ両替した。ソ連には1週間半滞在予定。結果的にはルーブルは全然減らなかった。なぜならホテル代と飛行機代は支払済み。タクシー代と食事代しか使い道がない。何かお金を使おうと、町をうろうろしてみたが、何を売っていたか思い出せない。たぶん何か買いたくなるようなものは一切なかったのだろう。仕方がないので、サマルカンドのバザールで民族帽子を5つ買ったり、屋台で地元のポップスを録音したやたら音質の悪いカセットテープを数個買ったり、街の移動は全部タクシー、食事は全てホテルでしたが、それでも全然減らない。もっとも食事するところはホテルしかなかった。空港とタクシーの運賃は、運ちゃんによってはぼったくりしたつもりで、30ルーブルなんてぬかしたが、全然問題ない。120円にしかならない。現地人は自分たちの通貨の価値が暴落していることを知らないようだ。

 そんなかんなで日本に帰る最終日の前日のハバロフスクで、ルーブルは半分近く余ってしまった。その日の夜、腹が減ったのでどこかで晩飯は食えないかと、ホテルの地下に行ったら、生バンドが何やらどんちゃん騒ぎしていた。ロシア人はこういう類のものが好きらしい。あまりにうるさくて居心地悪かったので、適当につまんで会計しようとしたら、またおばちゃんが「ニェートニェート!」言葉がわからないので様子を見ていると、ドルを見せられた。このホテルでは外貨で払わなくてはならないようだ。円しかないので計算させたら千円少々請求された。この街では自分たちの通貨が信用されていないようだ。結局2千円を使い切れなかった。

 ルーブルは国外持ち出し禁止。次回ソ連にきたら返すという建前の、事実上の没収らしい。出国時の税関で、ルーブルを持っているかと聞かれ、正直にあると答えた。どれくらいあるかと聞かれ、ほんの少しと答えたら、没収はされなかった。

 帰りの新潟行の飛行機の中で、ソ連で商売しているという会社の社長からスカウトされた。なんでもこんな国に旅行しようとすること自体が稀有で素晴らしいとのこと。しかしながら、このひと癖ある国で、当然ひと癖ありそうな社長にこき使われそうなので、平凡なわたしには無理だと断った。


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