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1991年ソ連旅行(10)

 国際列車は北京を出発した後天津に寄り、そこから長春までは数日前に通ったルートを再度進みます。瀋陽についた時点ではまだ目が覚めず、長春との中間地点あたりで起床しました。私がベッドメイクをせずに横になっていた様を見た昨日のおっかない女性車掌は、見かねてか私の住処のベッドメイクをしてくれました。謝謝。長春、ハルビンと列車が停まるたびに外に出てみましたが、あまり他の乗客は外に出てきません。売店もありません。どうしたことでしょう。売店の存在を食事の当てにしていたのですが。中国人民と外国人とをあまり接触させないという当局のありがたい配慮の結果でしょうか。

 乗車3日目の早朝の4時ころだったでしょうか。何者かに起こされます。中国の北の果て、国境の駅である満洲里駅です。何名もの制服係官が車内をうろうろしますが、何が出国審査で何が税関検査で何が検疫なのかわかりません。ただパスポートは回収され、ずっと列車の中で待機させられます。そして出国印を押されたパスポートが返ってくると外に出ることができます。「満洲里」の文字が入ったパスポートはややレアと言っていいでしょう。「丹東」(北朝鮮との出入口の街)には負けますが。

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 乗客はみな外に出たものの特にそこに何かあるわけでなし、ただただ寒いだけです。やがて夜が明けてきます。線路の向こう側はソ連です。

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 やがてみな列車に乗り込み、ソ連に向けて出発します。列車はゆっくりと進みます。この旅行に出発するちょっと前(もしかしたら後だったかも)に、シベリア抑留にあった人たちによる回想の旅の中で、同じ列車でこの国境を通過するシーンがあり、しっかりと中ソ両国の大きなゲートが写っていましたが、当時は少々腐ってもまだ「泣く子も笑う、ではなかった、泣く子も黙るソ連」、ビデオカメラはおろか、国境をカメラでバシャバシャ撮る豪の者は一人もいませんでした。みなこれから受けるであろう無慈悲な入国審査(言い過ぎ)のことを思ってか、一様に黙って外を眺めているのでした。

 列車はソ連側の駅、ザバイカリスク駅に到着しました。窓から白人の軍人の姿を見たとき、ちょっとした衝撃を受けました。ここは地理的にはアジアなのに白人がいるなんて!でもソ連だからいて当然です。理屈ではわかっていてもやはり印象はそんなんです。そして列車が停まると制服姿の威圧感のある(勝手にこっちがそう思っているだけかもしれませんが)ソ連人が入ってきました。我々乗客はここでも車内待機です。私は住処の上段ベッドで胡坐をかいて座って尋問を待っていました。そして私の番となりパスポートとビザを手渡します。係官はそれらを見て私の名前を読み上げました。「イイダ、ヒロシ?」そしてすぐさま学校の生徒のように「イェス!」と返事しましたが、ここはソ連なので、あわててロシア語で「ダー!」と言い直しましたら、その係官はニヤッとしました。荷物検査があったかどうか記憶にはありませんが、たぶんなかったと思います。

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 以前も掲載しましたが、左下がソ連のビザです。ソ連のビザはパスポートにはったりスタンプを押すのではなく、3枚つづりの紙タイプで、入国時に1枚が回収され、出国時には残りの2枚が回収されるものなので、パスポートにはソ連に行ってきた痕跡がありません。ちなみに今の北朝鮮のビザもこんな方式だとか。正確にはツーリストカードというそうですが。

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(上下の写真はソ連側の国境駅、ザバイカリスク駅です。といっても写真は一番下のものも含めて2016年のものですが)線路の幅が、それまでは中国の標準軌からロシアの広軌に代わるために、列車の台車を付け替える作業がこの駅で行われます。その間乗客はこの駅の両替所でソ連ルーブルへの両替を行います。以前にも触れましたが、この旅行の直前に、現地の為替レートが1ルーブル4円となったと報じられました。私は正直半信半疑でしたが、西欧風の旅行者が何人かルーブルの札束を当惑気味に抱えて両替所を退出しているのを見ました。おそらく1ルーブル250円相当のレートと思って両替したためでしょう。一体いくら両替したらあれだけの札束になるのでしょうか。そんな感じで他人を冷ややかに眺めていた私にも天罰が降りかかります。私は海外における日本円の強さを信じ込んでいて、今回の旅行にはアメリカドルを持ってこなかったのです。日本円で十分だと思っていたわけですが、果たして両替の番が私となったので日本円を差し出すと、両替所のおばさんは甲高い声で「ニェートニェート(ここではダメの意)!」と叫ぶじゃありませんか。そんな声出さなくても。それはともかく、これでソ連内で無一文決定です。

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 昼過ぎに列車は出発しました。しばらくしたら、なぜか私の腕時計が壊れました。アラームが停まりません。困ったな、うるさいなと思ってデッキに向かうと、男性の車掌(車掌は各車両2名が交代勤務しています)が腕時計を指さして何やらゼスチャーしています。どうやらこの腕時計を売ってくれということのようです。ソ連ではこんなものでも売り物になるのかと思うと少々驚きでしたが、そうは言ってもはたしていくらで売れば妥当なのか想像もつきません。約10秒間考えた結果「50ルーブル」と告げました。商談成立です。無一文だった私はここでルーブルを入手しました。おっと、これはソ連でいうところの経済犯罪ではないのか。これは見なかったことにしてくれ給え、同志。ちなみ車掌はロシア語オンリー、私は日本語に若干の英語しか話しません。よくぞ意思の疎通がとれたものです。しばらくの間二つ向こうの車掌用のコンパートメントからアラームの音が鳴り続けました。50ルーブルは適正な価格だったのか、しばらくの間思い悩みました。

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 この日は国境通過のためにみな朝早く起床したためか、国境通過の緊張が解けるとほとんどの乗客は昼寝に入りました。明日はイルクーツク。本格的なソ連入国です。


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