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1991年ソ連旅行(9)

  今日はいよいよソ連行きの国際列車乗車の日ですが、出発時刻は夜の8時頃なので、それまで北京市内を観光します。バスに乗って故宮の北側の入り口に行きます。

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 映画「ラストエンペラー」での、後半の舞台が長春なら、前半の舞台はこの故宮とも呼ばれる「紫禁城」です。映画のシーンが思い出されます。これは観光ガイドではないので、ここでは内部の解説はしませんが、浅田次郎著の「蒼穹の昴」を読むことを強くお勧めします。当時の紫禁城の様子が細かく描かれています。

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 1991年の当時は、まだ人民服を着ている人が目につきます。ちなみにこれはどこかの本に記載されていた話の引用ですが、日本人が人民服のコスプレを敢行し、そのまま泊まっているホテルに帰ろうとホテルのドアにさしかかったところ、思いっきりドアマンから「入るな!」とばかり殴られたことがあったとのこと。やはり中国といえど階級は存在するという逸話です。

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 ここからラストエンペラーこと溥儀が紫禁城を追放される映画のシーンが大変印象的でした。

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 私の大学の2学年上の先輩がここで、この毛沢東主席の額に向かって石を投げて公安に捕まり、スキを見つけて逃げたという逸話というか伝説を聞かされたことがありますが、さすがにそれはないでしょう。もしそれをやったら逃げ出すことなんかできず、そのまま収容所送りとなり、きっちりと思想改造を受けた後に「立派な青年」となって帰国しているはずです。

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 ここが2年前にいわゆる天安門事件が起きた現場ですが、当然ながらここには当時のことを当局に向かってデモってアジるような英雄はいません。いいか、余計なことはしないことだ、わかったか?

 前門飯店に戻って荷物を回収し、いわゆるリキシャに乗って北京駅へ向かいます。バスや地下鉄に乗った方が早いし安いのですが、外の景色を眺めながらゆっくりと進んでいくのも悪くありません。ちなみに当時はまだ地下鉄に乗る際の荷物検査はありません。

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 北京駅です。国際列車用の待合室が中に入ってすぐ左手にあります。一等待合室を兼ねているようです。

 出発時刻が近くなると、待合室の1番ホームに面した側のドアが大きく開きました。国際列車がそのホームですでに待機しています。ハルビン経由モスクワ行き第19次列車はソ連の車両で運用されます。ちなみにもう一つのモンゴル経由のモスクワ行き3次列車は中国の車両です。

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 各車両の入り口には車掌が待機しています。私は切符を提示したうえで指定のコンパートメントに荷物を置き、一旦外に出ました。そして再度車両の中に入ろうとして、待機している貫禄のいい女性車掌に再度切符を見せて「スパシーバ(ありがとう)」と言いながら中に入ろうとドアの階段をよじ登ろうとしたところ「ニェスパシーバ(ダメとかスパシーバじゃないわよの意か)」と言われて文字通り階段から引きずり降ろされました。早くもソ連式の接客の洗礼を受けた形です。

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 二等寝台は、構造は中国の一等寝台のような上下2段ベッド2セットの4人部屋ですが、シートは中国と違ってビニール張りです。これはシベリア鉄道と同タイプのものです。私は4人家族のうちの3人との同部屋となりました。その家族はぱっと見は東洋人ですが、話している言葉は中国語ではありません。それでいて車掌とはロシア語で流暢に会話しているように見えます。アナタ方は何人ですかと尋ねましたが、見知らぬ民族名が返ってきます。今から思うとモンゴル系の言葉かなと想像します。印象としてはやたら濁音を汚く発音するといったところです(差別の意図で「汚」という言葉を使っているのではなく、音の程度を表す表現として使っていることをご理解ください)。この車両、日中は日の当たるところに留め置かれていたのかやたら暑いです。そんなわけで布団にシーツを敷くなどのベッドメイクも億劫で、ビニール張りの上段ベッドの上でこの日は眠りに就きました。

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