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不安の根源とは

 唐突に、ものすごい不安を感じた。
 学校からの帰り、いつものように音楽を聴きながら坂を下った。雨に降られて桜が散っている。地面に落ちた花びらが、いつもより白く見えた。うっすら積もった雪景色のようだ。そして空も灰色がかっていた。淡白だ。全てが薄い色をしている。コントラストを下げた風景写真をひたすら眺めているような気分だ。
 どうして不安を感じているのだろう。喪失感、焦燥感、人は得体の知れぬ感情に名前をつけたがる。正体がわからないから不安なのだ。そうして名前をつけて少し落ち着かせようとする。だがこの得体の知れないものはなんだ。それは大切なものが遠くに離れてしまう喪失感のような、大切なものを傷つけた罪悪感のような、周りのもの全てに置いていかれる孤独感のような。
 雨音は次第に大きくなっていき、音楽は聞こえなくなっていく。世界はどんどん淡くなっていく。差し迫る、心の底から湧き上がる不安感、その圧迫感に耐えきれずヘッドホンを外した。雨は対して降っていないのに、霰でも降っているのかというような音を立てているように感じる。

 視界の端から白みがかっていく。まるで目玉の血管を白い液体が通っていくかのような感覚になる。
 息が浅くなる。心の中の膨らんだ感情に押されて肺が圧迫されているかのようだ。
 頭から血の気が引いていく。まるで血液を抜かれていくかのような感覚に襲われ吐き気までしてくる。

 この時点で手足のことなどわからなくなっている。自分の四肢がどうなっているのかわからない。つながっているはずなのに、接続できない。自分と認識しているのは頭と胴体だけで、四肢は勝手に動いている。そして、考える。

 私は、孤独なのか。
 私のことを顧みてくれる人はいないのか。所詮は皆他者、自分の体とは何一つ繋がりのない赤の他人。家族も恋人も友達も知り合いも。私以外の全ては私と関係のない意志で動き、私のことなどその人生の中で、その意識の中でさほど大きな存在ではないのかも知れない。そう感じたのだろうか。いるに決まっている。理性でそうわかっていても、本能で感じられることはほとんどない。なのにみんななんの不安もなく過ごしている。
 誰も自分が一人であることに不安感を感じずに過ごしている。いつも誰かが近くにいるからだ。隣で話しかけてくれる友達、自分のことを心配してくれる家族や恋人、端末ごしに話しかけてくる親友、画面の向こうで反応してくれる友達、隣を歩く学友たち、向かいから歩いてくる知らない学生、通学中に隣で本を読む男性、ホームで自分の前に立って並んでいる女性。心理的にも物理的にも、すぐ近くに人がいる。その距離の近さが、自分と他者の境界の認識を曖昧にする。だが私は一人だ。自分の意思でコントロールできる物体は一人の体だけだ。

 桜が散っている。一枚、また一枚と。己が持つ常識という花弁も剥がれ落ちていく。そうして世界にポツンと一人存在している。

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