見出し画像

「キッド」が見たかった!

この映画のキップは、母と弟だけでチャップリンの映画を見に行って、帰ってきてもらったものでした。どうして私は連れて行ってもらえなかったのか、別にいじわるされてたんじゃなくて、塾だったのか、用事だったのか、何かの事情で行けなかったものでした。

70年代の後半だったと思います。1977年くらいに、当時の国語の先生が、チャップリンの「キッド」という映画は、子どもを貧乏紳士が助けたのに、保護する公けの役人みたいな人たちがやって来て、貧乏紳士から取り上げるドタバタがあって、そこに天使たちが象徴的に描き込まれているんだ、なんて教えてくれました。

それを聞かせてもらって、「ああ、キッドっていう映画を見たいけど、もう終わってしまったし、もう見られないなあ」なんて嘆いたものでした。どんなに大事な場面や、映画を見た人が力説するワンカット、それらを聞かせてもらう人間は確認する手段を持っていませんでした。

そういう時代の話です。今なら、スマホでもPCでも、簡単に見られることでしょう。そして、なぁんだ、お話を聞いた時くらいのインパクトないなあ、と思ったり、確かに、お話の通りだと思ったり、あれこれとすぐに見られるでしょう。

そんな風に、大事な場面というのは、今すぐ手元で確認できる時代になりました。

でも、はたしてチャップリンは、そういう手軽に見られてしまう作品というものをどう考えるだろうな。もう少しじっくり見てほしいし、そこだけを取り出してみるのではなくて、最初から最後までたっぷり楽しんだ後で、気に入った場面をそれぞれ意見交換してもらえたら、私の作品ももう少しみんなのものになるんじゃないかな、なんて言わないだろうか。

きっと、ものすごい時間と情熱をかけて、体を張って作り上げた映像だと思います。それを次から次と消費されると、チャップリンそのものも徒労感が広がっていくんじゃないかな。

今の世の中は、動画制作者は消費される時代でしたか。それでも、すぐに消えてしまうかもしれないけど、たくさんの人がチャレンジしようと、挑んでくものでしょうか。

「キッド」は、十何年かたって、やっとNHKの教育テレビで見せてもらったと思います。それくらい憧れて、恋焦がれて、やっと見られるものでした。

だから、とにかく、大事な体験にはなりましたし、チャップリンは好きな映像作家です。今の若い人たちは、もう好きになってくれないかもしれない。それが心配です。

年寄りの私たちが、声を上げて、楽しさを語らなくちゃいけないな。今の動画なんか見ている場合じゃありません。古い映画ばかり見て、それらを若い人に勧めていかなくちゃ!