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上間陽子「海をあげる」書評

◆書名 海をあげる
◆著者 上間陽子
◆販売 筑摩書房 1,600円+税

 タイトル「海をあげる」の意味は、最後の一行を読むことで分かる。
 私の「その時」は、地下鉄車内だったが、その言葉の重み、自分の無力さ、そして何やら分からない感情があふれ、けっこうな人がいるなかで、泣いてしまった。


 前著「裸足で逃げる 沖縄の夜の街の少女たち」の著者が日常と生活を描くエッセイ集。
 著者・上間陽子さんは1972年、沖縄「本土復帰」生まれ。実は私と同年生まれだ(「だからどうした」と言わないで)。
 現在、沖縄の女性や若者たちの生活を研究する教育学者。そして本書にたびたび登場する「風花ちゃん」という幼い娘を育てる母でもある。
 住居をかまえる宜野湾市は、言わずと知れた普天間飛行場・基地を抱える街。自宅の上空を日に何度も軍用機が飛び交い、会話が成り立たないほどの爆音被害や、最近ではPFAS/PFOSなどによる水道水汚染などと「共存」する毎日を子育てをしながら、研究を続ける日々が描かれる。


 著者の研究スタイルは「聞き取り」。
 性暴力や若年出産など、沖縄県内で起きているさまざまな問題に寄り添い、ひたすら当事者である少女(ときに少年)たちの声を聞き、実態を明らかにする地道な研究だ。
 その研究は、私にはとても痛々しいものである。そんな、あまりにも痛々しい言葉を日々浴びている著者が、みずからどんな言葉を発するのか。
 読み進めるうちに、むしろ彼女が聞いてきた、心の中にためてきた現実が、本書の言葉をつくっていることに気づく。
 そして発せられる言葉の背景に存在する現実に心が痛み、掻き毟られる。


 私の故郷は京浜工業地帯のど真ん中である、川崎南部だ。
 そこにも海はあった。と思う。
 そしてその海は、沖縄や、辺野古の海とも、本当は一つにつながっているはずだ。
 しかし2018年12月、土砂が投入されたあの海と、私の身近な海とを、本当に「一つのもの」として、私は考えられたのだろうか。


 本書で印象に残る、エピソードが紹介される。
 1995年、残酷な少女暴行事件に抗議する集会が約8万人を結集し、沖縄県内で開かれた。そのとき東京で学んでいた著者に、大学教員がかけた言葉。「すごいね、沖縄」「怒りのパワーを感じにその会場にいたかった」…。
 著者は、この言葉に激しい絶望を覚える。


 菅前首相が官房長官時代に言い放った「戦後生まれなので、沖縄の歴史は分からない」。教員の言葉は、それと同質の肌触りとして著者はとらえたのではないか。「本土」の人たちの何気ない言葉から感じる絶望。
 著者が本書の最後に発した言葉の発信源が、そこにあるのだ。そう私は受け止めた。いや受けとめ切れたのかは分からないが…。

 私たち「本土」の人間は、何ができるのか。沖縄県外で生きる私たちに、著者が抱える重荷を分かち合うことはできるのか。
 「あげる」と言われた海は、私たちの街にある海とつながっているのに。

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