見出し画像

自分の人生の棚卸 高専編その1

中学校を卒業した井上少年は、岐阜県の本巣にある岐阜高専に行くことになりました。土木工学科に入学したのですが、父親がゼネコンに勤めていたのでその影響かなと思います。別にコンクリートと戯れたいとか、地盤を探求したいとか特別な理由はなかったように思います。このあたりから自分の人生をもっとちゃんと考えるべきでしたね。もし、今やり直すなら、普通の高校に行って、大学受験をしていましたね。愛知の名門、名古屋大学をぜひ狙ってみたかったですね(言うのはタダ)。

春日井の実家から本巣は微妙な距離だったので、とりあえず寮に入ることにしました。ここで、実家暮らしとはほぼお別れです。もし大学に行ってたらあと7年間くらいは実家にいたのかもしれません。なんとも親不孝な息子です。

40人の土木工学科は、全員男。そりゃそうですよね。今でこそ時代は変わったようですが、コンクリートやら地質やらに興味のあるような女子は普通はいませんよね。約30年前ですし。隣の建築科や電気科には女子はいましたけどね。高専は5年間行くのですが、目標は留年しないこと(笑)。入学したときの40人は卒業する時には、約半分くらいは入れ替わっていたと思います。半分が下に落ちて半分が上から落ちてくるような感じですね。今はわかりませんが、決して大げさではありません。土木と機械が特にそんな感じだったように思います。とにかく勉強をしない5年間でした。ギリギリの点数でギリギリの出席日数でなんとか毎年クリアしていってましたね。勉強をしないくせに、夢にでてくるくらい、とにかく留年が嫌でしたね。なんとなく早く卒業して、なんとなく早く社会人になりたかったと記憶してます。出席日数がギリギリだったのは、1年もたたずに寮を出てしまったからです。大したことではないのですが、ちょっとしたことで追い出されてしまいます。そこから穂積の駅近くで一人暮らしが始まります。

数年前に穂積駅に仕事のついでで行ったのですが、当時のことがまったく記憶としてよみがえらないくらい、変わっていました。住んでいたアパートの場所が分からないくらいでしたからね。ちょっとびっくりです。

高専生活は5年間あるので、その2も書いてみたいと思います。本日も最後までお読みいただきありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?