宗教の事件 62 西尾幹二「現代について」
破防法の法的不備露呈
自由な社会は自らが尊重するその自由の破壊を目的とする政治団体の自由をどこまで許し得るか……これは矛盾をはらんだ、この上もなく困難な問いである。自由社会の自由をむさぼり、徹底して自由を利用し尽くしたうえで自由を破壊したオウムの出現は、この困難な問いを初めて日本に突きつけた。
「結社の自由」はいうまでもなく先進国のどの国もが憲法で保障しているが、しかし、テロ対策に悩んできた先進各国は「結社の禁止」の条項をも同時に憲法で規定している。たとえば極右や極左や外国人破壊分子に悩むドイツは、憲法九条第一項で結社の自由を保証しているものの、二項では憲法的秩序に反する団体の禁止を同時に定めている。しかも、禁止、すなわち解散命令と財産没収に対しては裁判所の判定をさえ要しない。内務大臣の認定で即刻禁止が決められている。私はドイツの国内治安法を調べていて、これを知ったとき、正直驚いた。あまりの簡便さに不安になった。日本では考えられないことだと思った。
政党と一般の結社とは区別されていて、政党の解散には連邦憲法裁判所の決定を経なくてはならないことになっているが、一般の結社、ネオナチや赤軍派やパレスチナ学生総連合とかクロアチア民族抵抗戦線と行ったドイツの治安を乱す外国人組織を取り締まるのに、いちいち裁判の手続きを経ていない。担当の行政庁すなわち内務省の判断ひとつで、あっという間に解散させられる。しかもまだなにも民主主義的秩序に反する暴力犯罪を犯していなくても、その可能性のある団体だとの認定だけで、即時解散が実行される。
これは日本でならさしずめ官権の民主主義的暴挙ということになるだろう。旧西ドイツの統計になるが、憲法規定に基づいて1964年に「結社法」が制定されて以来、89年末までに、45団体が実際に右の通りに処断され、禁止させられているのである。
しかしドイツだけではない。危険な可能性のある団体をみな萌芽の段階でいち早く摘んでしまうという緊急措置は、フランスも同様であり、他の欧米民主主義国にもほぼ共通している。世界中にカルト宗教は多数発生したが、みな小型で、自壊的であったのはそのためである。
周知のとおり「破防法」の適用成立の要件は(1)政治的な目的をもった団体であること、(2)暴力主義的破壊活動をすでに行ったこと、(3)将来も再犯の明らかなおそれがあること、の3つである。このうちドイツやフランスの団体規制法は、憲法秩序に反する団体とみなされれば、(1)の条件だけで適用が成立するのだ。(2)も(3)も必要としない。アメリカはたぶん(2)の要件まで必要としたと思うが、読者のみなさん!よく考えていただきたい。(3)の要件、すなわち「将来も再犯の明らかな恐れがあること」の立証まで行政に求めている団体規制法なんて、世界広しといえども、わが日本の破防法以外にないのである。常識からいってそもそも「将来の再犯」があるか否かなんて水かけ論になるのは必定、どうやって法的に立証したらよいというのか、破防法は公安調査庁にもともと常識に反する無理な立証を求めていた法律なのである。
ところが、今度のオウムの破防法適用破棄は(1)(2)は立証され、(3)が立証されなかったことに基づく。ということは、破棄は民主主義の勝利でもなんでもなく、「破防法」という法律の法的不備、昭和27年社会党の反対の怒号の中でやっと成立した時代遅れの不完全な法律であったことに原因があるのである。
いったいどうして破防法が民主主義を脅かすあぶない法律だというのであろう。私はもともとこの法律は無力だといっていた。かりに施行されても、オウム教団の実質的活動の継続を防ぎ得ないのではないか、とさえ私は書いた。しかし日本にはそもそもこれ以外に団体規制の法律がほかにない。だからこれを用いるしか仕方がないのだ、と書いた。(『新潮45』平成8年8月号)。立法が行政に立ち遅れているからである。
今回請求破棄をした公安審査委員会の面々にむしろ聞きたい。欧米はより進んだ反テロリズム法をもっている。日本には時代遅れのこんなばかみたいな法律しかない。しかしこんな無力な法律でも必死に追い込んだからこそ、オウム教団はここから逃れようと必死に抵抗し、教団施設を明け渡したり、逃亡信者が出願してきたりしたのではないか。無力な法律の「無力」を天下に知らしめてしまったこのあと、取り締まりの方法をどこに置いたらよいというのか。公安審査委員会は公平ぶった臆病のゆえに、たいへんに大きな危険を国民生活の今後に残したことにならないか。
今回の措置でたとえばオウム教団が何年かの後に再び国境の外に「布教」に出ることを許可したわけであるから、そうなったときには、日本は国連から……彼らがかりに宗教活動だけをしたとしても……「テロ支援国」の汚名を着ることにならないだろうか。審査委員会はそこまで考えているのか。
ここでいま、公安調査庁の改廃を云々する人がいるが、こういう事情を考えると話は逆ではないかと考えられる。日本は「破防法」のような考えられる限り穏やかであり、見方を変えれば生ぬるい団体規制法ではもうやっていけないことがわかったのであるから、欧米先進国並みの、現実のテロ時代にフィットした新しい法律を作り、同庁の支援をさらにいっそう仰がなければならない必要がますます増したのではないのか。
どうして人は現実を空想にすりかえ、逆に考えるのであろう。
(つづく)
西尾幹二 「現代について」
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