ブーアスティン「幻影の時代」そこに見えるものは

それほど遠い昔でなくても、旅行に出かけるということは、なににもまして単純で理解しやすい概念であった。旅行・・・空間のなかでの移動・・・は、変化の隠喩として広く用いられた。死んだ時、人間はだれも帰って来たことのない土地へ旅立ったのである。またきまり文句にあるように、死ぬ時その人は「過ぎ去る」のである。われわれは、時間という神秘から空間という具体性のなかへ避難するのだと、哲学者は説明した。たとえばベルグソンは、時間の測定は空間に関する隠喩で表現されなければならないと論じた。時間は「長い」「短い」であり、時代は「遠い」「近い」であった。

現代生活の微妙な混乱のひとつは・・・あるいは隠れた恐怖の一つかもしれない・・・われわれがこのような避難場所を失ってしまったということである。もはやわれわれは、かつてしたように空間のなかを移動し、時計の単調な動きで距離を測るので、自分が何をしているのか、どこへ行こうとしているのか、時には自分が動いているのかどうかさえ、自分でも理解できないことがある。

何処へ行くにも時間の差は少なくなる一方なので、時間自身も空間の尺度としては用をなさない。すでに設計の段階にある超音速の交通機関は、アメリカ大陸を二時間で横断し、ヨーロッパとアメリカを二時間半で結ぶであろう。われわれは「インスタント旅行」の時代に入ろうとしている。現代のような同義反復的経験の時代に、われわれが最後には時間を時間で測るようになったとしても、まったく正当であると思う。
われわれは現代を「宇宙時代(スペース・エイジ)」と呼んでいるが、われわれにとって空間の意味は減る一方である。(スペースには「空間」と「宇宙」の両方の意味がある)。現代は「空間のない時代(スペースレス・エイジ)」と呼ばれるべきかもしれない。地球の上を旅行するすべを失い、地球上の空間を同質化してしまったので、われわれは宇宙の同質性のなかに避難所を求めている。あるいは変化を求めているのかもしれない。宇宙を旅行しても、アメリカの高速道路を旅行する時と同じように、なんの景色も見ることはできない。われわれはすでにカプセルのなかにはいって、燃料補給・食事・睡眠・見物といったいろいろな観光旅行にともなう問題に圧倒されている。われわれは月のうえでは経験を広げることができるだろうか?月の上に観光用アトラクションができるまでは、それも可能であろう。

旅行に関する文献でさえも、いちじるしい変化を示してきた。昔、これらの文献は外国の宮廷生活、埋葬儀式、結婚の慣習、乞食・職人、酒場の主人・商人などの変わった生活の仕方についての知識を考えてくれた。大部分の旅行案内書は、長いことマルコ・ポーロの物を模範にしていた。しかし19世紀の中頃から、また特に20世紀にはいってからは、旅行案内書は新しい知識の記録ではなく、個人の「反応」の記録となってきている。「イタリアの生活」から「イタリア人のアメリカ人」へと変化した。人々はすでによく知っているものを見に旅行する。記録に値すること、すなわち驚きの唯一の源泉は、彼ら自身の反応だけである。

有名人と同じように、外国も擬似イベントの確認をしてくれる。我々の興味の大部分は、われわれの印象が新聞・映画・テレビに出てくるイメジに似ているかどうかを知りたいという好奇心から生まれる。ローマのトレビの噴水は、本当に『愛の泉』という映画のなかで描かれたようなものなのであろうか?香港は本当に『慕情』のようなものであろうか?そこはスージー・ウォンでいっぱいなのであろうか?われわれは現実によってイメジを確かめるのではなく、イメジによって現実を確かめるために旅行する。

もちろん、旅行の冒険は依然として可能である。しかし今日では、それが旅行の際、付随的に生じることは稀である。旅行先で他の何十万人者に出遭おうと思うならば、われわれは前もって長期にわたり、莫大な費用と欠けて計画し、工夫し。準備をしなければならない。われわれは、危険や冒険さえも作り出さなければならない。さもなければ一生懸命になって捜し求めなければならない。リチャード・ハリバートンの著作(『ロマンスへの王道』1925年、『輝かしい冒険』1927年、『征服すべき新世界』1929年、『空飛ぶ絨毯』1932年、『魔法の長靴』1935年)が人気を博したのは、旅行がアメリカ人にとって快適な、危険のない商品になったのと同時期である。旅行を輝かしい冒険にするために、ハリバートンは古代の冒険を再現しなければならなかった。彼はギリシャ神話のレアンデルのように、ダーダネルス海峡を泳いで渡った。またユリシーズ、コルテス、バルボア、アレキサンダー大王、ハンニバルなどの通った道を探検した。「神秘のチベット」は、地球上にまだ残っている数少ない旅行困難な場所の一つであるが、そのチベットでさえ神秘性を失ってしまった。近年、ウィリアム・O・ダグラス判事は、旅行の冒険を求めるのに独創性を発揮した。彼の著書に人気があるのはふしぎではない。しかしそれさえも、リチャード・ハリバートンの焼き直しにすぎない。ピエール・ストレイト夫妻は、イギリス製のランド・ローバー車を駆って、パリからネパールのカトマンズまで旅行することで冒険を巧みにつくしだした。彼らの旅行記は≪ライフ≫の1957年9月2日号に「キプリングの旅行した跡を自動車で訪ねて」として掲載された。

今日、旅行に伴う危険を作り出すためには、昔それを避けるために必要とされた以上に費用がかかり、大きな独創性・創造力・計画性が必要である。また冒険を計画するには、それに打つ勝つのと同じくらいの努力がそそがれなければならない。しかし、何百万人もの観光客は、それだけのことをする時間もなければ金もない。だから今日、旅行の冒険が人工的・虚構的・日現実的性格を持つのはいたしかたない。そして退屈な旅行経験のみが、正真正銘のようにみえる。まだいくらか存在している冒険的旅行家にとっても、またそれよりもはるかに数の多い観光客になってしまった旅行家にとっても、旅行することは擬似イベントになってしまった。

ここでもまた、擬似イベントが自然発生的なものを圧倒している。理由は前述のとおりである。観光旅行、アトラクション、「とくに観光客のために開催された」博覧会、その他のあらゆるレディ・メイドの冒険は、あらかじめ巧妙に宣伝することができる。自発的な旅行は、昔も今も決してそんなぐあいにはいかない。われわれは自分が期待しているとおりの所へ行く。自分が期待したとおりのものを見ることができなければ、金は返してもらうという保証まで取ってある。われわれはみるためにではなく、写真を撮るために旅行する。他の経験と同じように旅行も同義反復となる。経験を広げようとして意識的に努力すればするほど、道義反復は広がっていく。偉大な人物をさがす場合でも、また外国での経験を求める場合でも、われわれは窓から外を見るかわりに鏡のなかをみている。そこに見えるものはわれわれ自身の姿である。


D.J.ブーアスティン 「幻影(イメジ)の時代―マスコミが製造する事実」

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