キュスターヴ・ル・ボン 「群衆心理」 砂粒の中の一粒のようなもの

群衆に特有な性質の出現には、種々な原因がある。第一の原因は、次のようなものである。
すなわち、群衆中の個人は、単に大勢の中にいるという事実だけで、一種不可抗的な力を感ずるようになる。これがために、本能のままに任せることがある。単独のときならば、当然それを抑えたでもあろうに。その群衆に名目がなく、従って責任のないときには、常に個人を抑制する責任観念が完全に消滅してしまうだけに、いっそう容易に本能に負けてしまうのである。

第二の原因である精神的感染というもまた、群衆の特製の発揮と同時にその動向を決定するのにあずかって力ある。感染というのは、容易に認められる現象ではあるが、まだ明らかにされていない現象であって催眠術に類する現象を関連させねばならない。これについては、やがて研究しよう。群衆においては、どんな感情もどんな行為も感染しやすい。個人が集団の利益のためには自身の利益を持実に無造作に犠牲にしてしまうほど、感染しやすいのである。これこそは、個人の本性には反する傾向なのであって、人が群衆の一員となるときでなければ、ほとんど現わしえない傾向である。

第三の原因は、はるかに重要なものであって、群衆中の個人が、単独の個人の特性とは往々全く相反する特性を発揮する起因となるものである。私は、被暗示性をいうことをいいたいのである。上述した感染ということも、もとより、この暗示を受けやすい性質の結果にすぎないのである。

この現象を理解するには、生理学上のある最近の発見を念頭におかねばならない。個人はその意識的個性を失うと、それを失わせた実験者のあらゆる暗示に従って、その性格や習慣に全く反する行為をも行うような状態におかれることがある、ということを今日われわれは知っている。ところで、活動している群衆のさなかにしばらく没入している個人は・・・・・・群衆から発する放射物のためか、それとも他の未知の何らかの原因によるのか・・・・・・やがて特殊な状態にあたかも催眠術の掌中にある被術者の眩惑状態に非常に似た状態に陥る。この事は、綿密に観察すれば、証明されることのようである。被術者は、脳の作用が麻痺させられてしまうので、無意識的活動の奴隷となり、これを催眠術師が意のままにあやつるのである。意識的個性が消え失せて、意志や弁別力がなくなってしまう。そのとき感情も思考も、催眠術師の決定する方向へ向けられるのである。

群衆の一員となる個人の状態も、ほぼこれに似ている。この個人は、もう自分の行為を意識しなくなる。催眠術をかけられた者と同様に、彼においてもある機能はうち砕かれるが、他の機能は、極度の昂奮状態へ高められることがある。ある暗示を受けると、それにかられて、抑えがたい性急さである種の行為を遂行しようとする。この性急さは、群衆にあっては、催眠術をかけられた者の場合よりもいっそう抑えがたいものである。なぜならば、暗示があらゆる個人にとって同一のものであるだけに、たがいに作用し合って、ますます強烈になるからである。群衆中の個人にして、この暗示に抵抗できるほど強い個性を持つものは、あまりにも少数であるから、大勢に押し流されてしまうのである。せいぜいのところ、別の暗示によって、心機の転換を試み得る程度にすぎないのであろう。折りよく喚起された心象(イメージ)、気のきいた一言といったものが、往々群衆に最も血なまぐさい行為をも思いとどまらせたことがある。

それゆえ、意識的個性の消滅、無意識的個性の優勢、暗示と感染とによる感情や観念の同一方向への転換、暗示された観念をただちに行為に移そうとする傾向、これらが、群衆中の個人の主要な特性である。群衆中の個人は、もはや彼自身ではなく、自分の意志をもって自分を導く力のなくなった一個の自動人形となる。

それだから、人間は群衆の一員となるという事実だけで、文明の段階をいくつも下ってしまうのである。それは孤立していたときには、恐らく教養のある人であったろうが、群衆に加わると、本能的な人間、従って野蛮人と化してしまうのだ。原始人のような、自然さと激しさと凶暴さを具え、また熱狂的な行動や英雄的な行動に出る。言葉や心象(イメージ)によって動かされやすく、自身の極めて明白な利益をもそこなう行為に扇動されやすい点からも、さらにいっそう原始人に近いのである。群衆中の個人とは、あたかも風のまにまに吹きまくらるれる砂粒の中の一粒のようなものだ。

陪審裁判が、各陪審員個人としては否決すると思われるような法律や評決を下すのも、議会が、それを構成する各議員個人としては否認すると思われるような法律や政策を採決するのも、以上の理由によるのである。かの国民公会議員たちも、ひとりひとり切り離してみれば、穏和な習慣の市民であった。それが、集合して群衆になると、数人の指導者に影響されて、明らかに罪のない人々をも躊躇なく断頭台に送ったり、自分達のあらゆる利益に反し、議員としての不可侵権をもなげうって、たがいに殺戮し合ったりした。


ギュスターヴ・ル・ボン 「群衆心理」

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