なぜか決まってひとりだけ

マザーアバゲイルはかっかっかと笑った。彼女はラルフがほんとうに好きだった。たしかに単純な男だが、それでいて、目端が利く、物事の仕組みを見てとる直感にすぐれているのだ。現在みんなが〈フリーゾーン放送〉と呼んでいるものを始めたのが彼だったと聞いても、彼女はすこしも意外だとは思わない。いってみれば、トラクターのバッテリーがひびわれかけているのが見つかったとき、そこにエポキシ樹脂を塗ってみるのをためらわない、彼はそういう男なのだ。そしてみごとそれが接着剤の役目を果たしてくれても、本人はただいつもの形のくずれた帽子を脱いで、脳天の禿げたところをごしごし掻きながら、にやりと笑うだけ・・・・・・ちょうど11歳の少年が、言いつけられた用事をすませて、勇んで釣り竿を肩にしながら笑う、そんな笑顔で、彼こそは、物事がうまくいかないとき、そばにいてほしいたぐいの人間なのだが、逆に、ほかのみんなが好景気に沸いているようなときには、なぜか決まってひとりだけ、その日暮らしに落ちぶれて、生活保護を申請するはめになる、そんなタイプの人間でもある。またたとえば、ここに自転車のポンプがあったとしても、それが普通の自転車用のタイヤよりも大きなタイヤには、どうしても接続できないというようなとき、彼ならちょうどぴったりのパルプを探しだし、とりつけることができるし、オーブンのなかで奇妙なぶんぶんという音のする原因がなにか、それも一目見ただけで見抜くことができる。ところがその彼が、会社のタイムレコーダーを操作せねばならぬ役目になると、どういうわけか、いつもきまって実際の出勤時間よりも遅くタイムカードを押し、帰りには実際よりも早く押すという仕儀になって、おかげで遠からず馘首の憂き目を見ることになる。豚の糞を適切な割合で土にまぜこめば、玉蜀黍がよく育つことも彼ならすぐに理解するだろうし、胡瓜のピクルスを漬けることも、教えればたちまち会得するだろう。ところがその同じ人物が、車のローンの契約書の内容がどうしても理解できなず、たまに誘われて賭博に手を出せば、どうやってディーラーが毎度、毎度この自分をペテンに賭けることができるのか、なんとしても納得できない。ラルフ・ブレントなーの記入した求職申込書は、まるでハミルトン=ピーチ社のブレンダ―にかけたみたいに見える・・・・・・スペルのまちがいは数知れず、紙の隅は折れ、インクのしみと、脂で汚れた指紋だらけ。履歴書となると、それこそ不定期貨物船で世界一周してきたチェッカー盤よろしく、汚れが市松模様を描いている。にもかかわらず、その同じ世界の構造そのものがばらばらになりかけている、そんなときこそは、ラルフ・ブレンドなーの出番だ。恐れずにこう言える男だから・・・・・・「そこにちょっぴりエポキシをほどこしてさ、それで保ってくれるかどうか、見ようじゃないか」と。そして驚くなかれ、たいていはそのとおりになるのである。


S・キング 「ザ・スタンド」

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