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社会人としての生存戦略(生存本能?)

やることは有り過ぎるがやる気が無さ過ぎる

リモートワーク(英語ではWFH, work from homeらしい)でも普段とあまり変わらない忙しさで、通勤が無くなった分、切り替えが上手くできず、気付かないうちにちょっとしんどくなってきた。

労働とは、金銭を見返りとして自分の価値を提供することで、「価値」を換言すれば、「自分にとって『やれること』のうちニーズがあって人に喜んでもらえること」をいう。

「やれること」が「やるべきこと」になってしまうと苦痛を伴い始めるが、少し視点を変え、やる気が出ず苦痛なのであれば、「それは果たして『やれること』として価値のあるものなのか」と立ち止まることで、見失っていた何かが見えてくるかもしれない。

サラリーマンは9-17時で仕事した体でいれば毎月自動的にチャリンチャリンとお給料が入ってくると思いがちだが、それではつまらない(それでいいという者を否定するわけではない)。

サラリーマンであっても、自分の提供する成果物が、頂いている対価に見合っているか、意識を向ける。それは、量の話かもしれないし、質かもしれないし、希少性かもしれない。

先の読めない時代に職を失ったり収入が減ったりすることが珍しくない中、変わらず生活出来ていることに感謝しながら、いつそのような状況に直面するか分からないし、否応なく、自分の価値を意識させられるこの頃である。

小難しく言葉を捏ね繰り回したが、結局は、放り出されても生きていける力が必要でさーね(ザコシショウ風)、ということで

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