見出し画像

「オーダー車だから良く走る自転車とは限らないんだよ。」というお話(44)

ひき続き「廣瀬さんと言葉や文字との距離感についての考察」です。
今回は主に文字にまつわるお話。

廣瀬さんの手による文章の掲載や、「製作に関することは文字化(マニュアル化)しない」という廣瀬さんの哲学に関して。
他にも「年々進化する工房」や、廣瀬さんのスクラップブックに保存されていた設計図や、工房のあちこちに貼られていた「あんちょこ」等についてご紹介しています。

さらに、文末に「追記」として、私が放送局員時代、中から体験した「サヨク思考に染まったマスコミ文化」の実像や、今から振り返ってのそれへの考察。さらには廣瀬さんと交わした政治談義等を記しています。



*******


設計にまつわること 30 「オーナーさんという最重要パーツについて その7 廣瀬さんとの対話-C」


廣瀬さんと文字との距離感

前回までは、廣瀬さんと話される言葉についての考察でした。今回は、一旦会話から離れ、廣瀬さんの、文字との距離感についてご紹介したいと思います。

廣瀬さん、「自らの考えを文字として残すことを、幼い頃から拒否してきた。」ことを私に教えて下さったことがあります。

廣瀬さんから「自分の仕事をネットで伝えて欲しい。」と言われた頃のことだったでしょうか…。
以前、第41回でご紹介した「聞かぬは一生の恥。聞くも一生(一緒?)の恥。」同様、「恥」というものを極端に忌む気持ちがこの「拒否」の根底にあったようです。

「ある考え方を文字として定着させてしまい、それが後から間違いだったと気付いたら、恥ずかしくてたまらない。だから、文字なんてものは残さない方が賢明である。」という考え方。
なんでも小学生のころからの決意だったとか。
「僕は、僕がまるっきり間違ったことを考えていたことが記録として残るのが嫌だから授業で作文は書きたくありません。」なんてことを曰う中坊。しかも、彼の父親は東大の博士様と来たもんだ…。
担任の先生もさぞかしその扱いに困ったことでしょう。

例外があります。
第13回でもご紹介した、雑誌「サイクル」1959年10月号に掲載された「富士五湖・箱根 ツーリング報告」というレポート。廣瀬さんが高校生の時の文章です。

今回はその表紙と文章全てを画像にてご紹介します。

ここから先は

34,007字 / 26画像

¥ 100

YouTube動画も含めた私のヒロセへの取材とアウトプットに対し、ご評価を頂ければとても有り難いです。どうぞ、よろしくお願い致します。(廣瀬秀敬自転車資料館 制作者)