見出し画像

短編 「彼女を迎えに」


見慣れないドレス姿の写真が雑誌に掲載されていて、「顔出ししたんだ」と彼女に質問すると、「そのほうが指名が増えるから」と無職の僕には痛いことを返す。

生活費は僕も出しているから、僕はヒモではない。彼女も「仕事はしなくていい」と言ってくれる。「したい仕事がないのなら、無理して働かなくていいから。家にいて」

昼過ぎに二人で目がさめる。彼女は寝起きが悪いので、僕がお湯を沸かしてミルクティーをいれる。朝食をとらない彼女のために、蜂蜜をたっぷりと。ちゃんと混ぜないと最後に甘い部分が残るから念入りに。

彼女は痩せすぎて血圧と血糖値が低いので、よろけながらキッチンの換気扇の下に向かう。ピースだかマルメンだかの煙草を吸いはじめる。僕は喘息持ちで 煙草を吸わないので銘柄はよくわからない。

電気をつけると眩しくて頭が痛いとこめかみを抑える。窓からの薄暗い光のなかで、きみの吐きだす煙が白くたゆたって、僕はいつも見とれる。

熱めのシャワーを浴びて、大好きなメイクをして、どこかのブランドのスーツとサングラスをかけて、10センチとか15センチとかのヒールを履いて出かけていく。

僕は彼女が作り置きしてくれたオムライスをレンジで温める。ケチャップのハートマークがラップについて、少しだけ歪んでいる。食べたあとで、転職サイトは開かずに、僕も着替えて明るいうちに公園に向かう。大きな公園は歩いて30分の場所にあるから良い運動になる。

ハトに餌はあげない。それをするといよいよ定年退職した人みたいになるから。平日の夕方は静かで落ち着いていて、湖に沈む夕陽を眺める。ゆっくりと、そしてはやく消える。

車イスに乗ったお婆さんがいて、後ろからお爺さんが押している。二人ともなにも話していない。お婆さんは小さくて、お爺さんは背が高くて少し屈んで、車イスの取っ手を握っている。落ち葉が踏まれて軽い音がする。

太陽が落ちてしまったあとで、しばらくしてから星を探す。一番と二番を見つけて満足する。肌寒くなって僕はベンチから立ち上がる。高校生のカップルは手をつないでいて、スーツ姿のカップルは少し距離がある。

家に向かう途中で、スマホが振動して彼女からのメッセージが届く。お腹が痛いから早退した、と泣いてる絵文字が付いている。そういえば生理がきていて、今回も重いらしい。

一度病院に行ってみたら、と言っても、今だけだから、といつも苦しそうにしている。冷やさない方がいいらしいよ、と助言しても薄い下着しかつけないので、タオルケットを肩にかけてあげるのが僕の役割。

最寄りの地下鉄の駅まで彼女を迎えにいく。帰宅のラッシュは終わっていて、改札に人はいない。誰もいない空間に、ピアノの音がひろがる。どこかで演奏しているみたいで、あたりを見る。改札の向こう、赤いレンガ造りの壁の下に、ピアノがある。今流行りのストリートピアノ。

改札の外から、柵に沿って近づいていく。弾いていたのは公園で見かけたお婆さんで、僕は驚く。となりに車イスと杖が並んでいる。手が綺麗に流れている。足はピアノのペダルに乗せていない。少し離れた場所で、お爺さんが両手を後ろに組んで、ゆっくりと歩いている。聴いているようで、聴いていないみたいに。

演奏が終わっても、僕は恥ずかしいので反応できずにいる。でも反対側から拍手が聞こえてくる。見ると、同じようなご高齢のカップルが並んで立っている。二人は拍手を繰り返したあとで、ゆっくりと立ち去っていく。

お婆さんは笑顔で見送って、またピアノの音が流れる。今度は聞き覚えのある、古い映画の歌。題名はわからない。でも映画好きの彼女なら、きっとわかる。

間に合うかな、とスマホを見ると、誘われたので軽く飲んできます、とメッセージが入っている。手を合わせた絵文字。了解だよ、楽しんできてね、と返す。

スマホから顔を上げると、もうお婆さんはいなくなっている。車イスも杖もなくて、ピアノだけが視界にいつまでも残る。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?