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永遠に答えが見つからない気持ち悪さと付き合う

人間は判断することで、思考と感情の整理を同時に行い、別の事柄に対しての注目に移行しようとする。ただしこの「判断」は便利なようで、危険もはらんでいる。判断を急くばかりに、適切な思考の時間やプロセスが得られず、振り返ったときに浅はかな判断であるという結果になることが多い。
浅はかだとわかっていてもつい判断を繰り返す。


なぜ判断しようとするのか。

原始仏教やブッダの教えについてわかりやすく解説する草薙龍瞬さんの著書には以下解説があります。

判断すること自体が「気持ちよい」 ことが理由でしょう。良し悪しや、正しい・間違っているといった判断は、それだけで「わかった気」になれます。結論が出せた気がして、安心できるのです。

「反応しない練習 あらゆる悩みが消えていくブッダの超・合理的な「考え方」」  草薙龍瞬

判断する心には、わかった気になれる気持ちよさと、自分は正しいと思える(承認欲を満たせる)快楽があるのです。

「反応しない練習 あらゆる悩みが消えていくブッダの超・合理的な「考え方」」  草薙龍瞬

判断が人間の根源的な欲求である「承認欲」を満たすことができる、甘い甘い快楽の手段であるということ。

「判断」と「決断」は違う

他方、ビジネスの現場では「決断」が重要なのは言うまでもないのですが、「判断」と「決断」の間にはどのような違いがあるのか。
結論から言うと、「決断」には戦略的な営みであり、「判断」とはなにかことがらを評価する営みであると考えられます。また、「判断」に至るまでのプロセスも人によってばらつきはありそうですが、「決断」は徹底的に考えた上で、決めることが求められるギリギリそのタイミングまで考え抜いた結果、決めたことであると捉えられます。また、「判断」は自分が積極的に行うもの、「決断」は人や組織から求められるケースが多いという違いとも言えるでしょう。

「決断」とは考え抜く勇気

日本人にとって「決断」をした先に待ち受けているのは「結果」。「結果」が出れば、一連の営みは終了、その結果に対して、潔く責任を認め、果てるという美学を持ち出しがち。
我々ビジネスパーソンはそうはいかない。「結果」はPDCAでいう「Check」→分析のプロセスに移る過程でしかありません。つまり永遠に終わらないサイクルの一つの通過点。
永遠に終わらないビジネスという営み。つまり「決断」に次ぐ「決断」と「分析」に次ぐ「分析」。答えなんて永遠にやって来はしてくれません。

常に答えの出ない気持ち悪さと付き合う勇気はあるか?

人間はつい「判断」をしがち。「判断」するためには事象に対して評価をする。つい20年前まではビジネスの現場でも評論家たちがそれぞれの立場や興味関心の範囲で「判断」をしていた時代。その頃はその頃で別の課題はあれど、白黒はっきり付けられるという意味では、永遠に答えのでない営みからは解放されていたのかもしれません。でもいまは誰も答えなんて持ち合わせないし、本質的に「答え」などというものは仮に見つかったとしてもその有効期限の短さたるや。そんなカオスな現代。私は常に自分に問いかける。
「おいヒロセ、常に答えの出ない気持ち悪さを楽しめ」と。

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