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何もないけれど志はある

アウトプット機会が多い。コンサルタントとしてはとても貴重でありがたいことなのですが、こと書き物となると、アウトプットで満腹となり、誰かに何かを伝えようという意欲すら削がれることがここ1年以上継続しています。

では今日、何をきっかけにnoteにアクセスし、こうして書き始めているのか。隔週の振り返り時間。かれこれ1年以上伴走して頂いているコーチとの対話で、想いや考えを伝えていく必要性、重要性に気づくことができたからに他ならない。さらに言えば、こうしてアウトプットすることで、私に対するwhyのようなものを軽減できるのではないかと思い(いや願い)、序章として書き始めています。


私の志は起業する時から変わっていません。グロービスの「起業家リーダーシップ」というクラスで様々なリーダーの足跡と、講師並びにクラスメイトとの対話を通じ、原体験とともに降りて来た私の志であり任務。それは

日本の中小企業、起業家や個人事業主が
世界へ挑戦・共創ができている未来。

志に至るきっかけは太閤秀吉公

私は名古屋市中村区の中村日赤で生まれ、中村区でも下町で育ちました。工場と歴史とちょっとばかりの恐怖、そして歴史が息づく街。そんな中心になるのは中村公園。何を隠そう、太閤秀吉公の生家があった場所に立てられた豊国神社が中心にある由緒正しき場所。
彼の功績に陰陽はもちろんつきものですが、少なくとも彼が農家から天下人になったその足跡は、当時庶民にとっては痛快で希望を持った人もいたことでしょう。
私はもちろん秀吉びいき(革新性という点で信長も好きですが)。
そんな秀吉は、身分に関係なく立身出世した、まさにアントレプレナーの一人だったのではないかと思っていました。そんな彼の足跡をたどることができる場所の近所に生を受けた私。彼のような人物を創りたい。そんな願いを持つようになったのは自然のことだったと思います。

身近な起業家は母

大学生の頃、母が突然居酒屋を始め、20年以上経営し、引退前に小さなビルを買って、今は悠々自適に暮らしています。実は一番身近な起業家は母親でした(父はサラリーマン)。
そんな母。毎晩のようにぐったり疲れて帰ってきては愚痴ばかりをこぼし、そんな愚痴に居心地の悪い気持ちでした。社会人になり、たまに帰省しても、その頃の環境変化もあって、客足が少なくなったことをさらにこぼしながら、伝票を数えていました。
「そんなに辛いならやめればいいのに」と口にしそうでしたが、それでも母は結局客商売が楽しいとぶつぶつ言っていました。そんな姿を見て、起業すると大変、自分一人で抱えることはたくさんあるということ。そして集客だったりはマーケティングとか営業活動ができれば解決できることもありそうなのにと、考えていたりしました。その時のことを振り返って、世の中には知っている人と知らない人の差が起きていること、そして情報の非対称性こそが、一つ大きな格差を生むことなのかもしれない、そんなことを考えました。

情報の非対称性を解消するためのソリューション

情報の非対称性がいろんなところに発生し、その結果様々なエラーやトラブル、片方への不利益を生じさせている。ゼロサムゲームのような事象が起きている。当たり前のようで、そこに着目すると、これは相当根深いことに気づき、それを解消するためにどうするか。。。そんなことを思案し、結果手段としてコンサルティングを始めることを決意しました。
・・・なんと未経験で。無謀。

創業5年目を迎えて

そんな志と解決策しか持ち合わせない私が、今日までコンサルティングを生業にできていること、それ以上に私の話しを聞いてくださって、支援させて頂いた、そして現在も支援させて頂いているクライアントの皆様にはほんとうに感謝しかありません。
私に何があるか、そう聞かれたら、志がありますと答えます。
日本の中小企業、起業家や個人事業主が
世界へ挑戦・共創ができている未来。
そんな志を持って、明日もクライアント様に100倍以上の価値を提供できるよう、邁進したいと思います。

今後

ということで、今後も実務的なことから、時事、そして最近深く関わり始めている天草など、少しずつ私という人間に対する皆様のwhyを解いていけるような発信をしていきたいと思います。

最後まで読んで頂いてありがとうございました。
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