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社会人38歳が、早稲田大学の大学院に出席して思ったこと

佐藤ひろおです。会社を休んで三国志の勉強をしています。具体的には、早稲田大学の大学院の授業に出席しています。

教わっている先生が、研究ができすぎて、研究室に集っている大学院生たちが、図抜けて優秀すぎて、日々「自己嫌悪」に陥っています。

が、ふと、再会した友達に近況を語っていて、思ったんですよ。
これまで、ふつーに会社員をやってきて、大学院の授業に数ヶ月出席しただけで、もしも、「ここで学ぶことはないね!みんな大したことないね!」って思うようならば、ぼくはアインシュタインになっちまうと。

具体的に、アインシュタインがどうやって学問を修めたのか、かれの学問がどのような内容と意義を持っているのか、よく分かってないんですけど(根っからの文系)、既存の学問の枠組みを超えていった天才、という俗的なイメージで使っているだけの比喩です。
アインシュタインの具体像に詳しいひとは、お見逃し下さい(笑)

中国学、東洋史学、東洋哲学など、扱っている題材に共通点があるものの、各大学がもつ歴史や伝統、また研究の視座・切り口によっていろいろな言い方がありますが、ぼくが習っているのは、そのあたりの学問です。

日本の学問は2010年代に中国に抜かれた

20世紀には、上記の分野で、日本の学問が世界一でした。21世紀になり、2010年代に中国に追い抜かれたようです。学問=カネではないし、いわゆるGDPは、経済学のいち指標に過ぎず、集計にはクセがある上、統計上のウソがあるとも言われていますが、
「中国のGDPが、日本を抜いた」
というのは、かなり示唆的なニュースだったんですね。10年くらい経って、ようやく体感するという……。

2019年に中国に旅行しましたが、自分の見える範囲は狭いので、国家全体の力なのか、目の前の街だけがそうなのか、実感としては判定不能でした。
哲学でよく話題になりますが、「自分の目で見たものしか信じない」というのは、かなり狭量な姿勢であり、ぜんぜん正しくないですね。むしろ、欺かれるためのカモさんの信念のあり方ですね。

GDPが抜かれたのと同じころ、学問のレベルが逆転したようです。
以後、日本と中国とでは、GDPの数値には何倍にも差が開きました。数字の中身や比率はともかく、「研究者を養う」には国家の体力が必要です。GDPのニュースと同期しているようです。

ただし、分野によっては、中国の現政権に支配されていない、外国人研究者のほうが有利である分野も多分に残っており、その点では日本人という立場も、捨てたものじゃなさそうです。
そういった分野で「個性」を出していけばいいでしょうし、戦略としても、中国の研究者と張り合っても絶対に負けるテーマを選ぶのは、得策ではありません。さいわい、ぼくの興味があるテーマは、外国人ならでは、という立ち場が有利に働きそうです。よかったよかった。

そもそも、中国大陸で過去に行われた営みについての学問ですから、
日本が、全面的に中国に勝利しているのというのが、特殊な事態だったのかも知れません。こんなことを言えば、20世紀の学問の牽引者に怒られそうですが、ちょっと冷めた目で見ると、そうなります。
政治・経済など、さまざまな要因によって、学問の水準は規定されるので、学者や知識人のそれぞれが、良い悪いという話ではないです。

※こんなことをネットに書ける日本は、いい国ですね!いろいろ留保はあるでしょうが、言論の自由は、希少資源です。他と比べると分かります。

偏差値、15を引くか、15を足すか

主語の大きな話をしていますが、何が言いたいかというと、
自分の偏差値が70として(数値に意味はありません)、
直前の職場で求められていたのは、偏差値55の働きぶりだったんです。偏差値マイナス15を、組織の輪を乱すことなく、継続的に受け入れる。「角を矯める」のが、主なストレスでした。
「本来なら、自分は偏差値70の仕事ができる、したい、伸ばしていきたい、チャンスがほしい、経験を積みたいのに、偏差値55のなかでくすぶっており、文句を言うことも許されない」
かーっ。サラリーマンの典型的なグチですな。

いまは、日本という国に、幾分かの凋落があったにせよ、ぼくは、まだ世界レベルの学問に触れられる環境にいます。
偏差値85です。
※正規分布において、そんな偏差値はなかなか存在しないですけど、それほどの異常値なんですってことが言えれば十分です。むしろ、極端な数字を使ってこそ、この記事で言いたいことが表現できます。

「自分は偏差値が70しかない。しかし周囲は、偏差値85で議論をしている。ついていけないことが多い。偏差値が15足りない。自分のバカさ加減に、うんざりする。でも、勉強するしかない
という日々です。

学部を卒業して、新卒で会社に就職しました。仕事は、それほど悪いことばかりではなかったですけど、知的な刺激という意味では、かなりムラがあったりました。退屈をすることも多かった。
会社員として過ごした15年弱のあいだ、学問の内容に第一線で触れていたわけではない。圧倒的に(年齢のわりに)経験と実績が不足しています。そのビハインドは、抜き去りがたい。だから仕方がないよね、とは思いたくないです。無知無学を思い知らされるわけです。

と、もがいていて、zoomを切断した直後、恥辱のあまり、床の上で身もだえしそうになるのですが、
新しい大学院の環境に触れ、やすやすと飛び越えていくようならば、ぼくはアインシュタインになっちまいますし(←再説)、ぼくはアインシュタインではないし、天才にはほど遠い、秀才タイプ?なので、学ぶしかないです。がんばりましょう、自分。

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