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「やるのが怖いこと」ほど、あなたが心からやりたいこと

佐藤ひろおです。会社を休んで三国志の研究をしています。

ミニマリストTakeru氏の『月10万円でより豊かに暮らすミニマリスト生活』を読んでいます。本屋でちらっと見て、タイトルの文が目に飛び込んできて、購入を決めました。107頁~111頁がこれに該当します。
読書メモとして抜粋。

著者Takeru氏には、怖いことがあった。仕事を辞める、youtubeを始める、貯金をくずす、人との繋がりを断つ(整理する)、本音を言うなど。やろとうすると心を締め付けられる。
これらの「やるのが怖いこと」ができなければ、ストレスが溜まる。つまり、「やるのが怖いこと」=心の底からやりたいことであると。

ちょっと論法としてザツな気もしますが、この指摘に引かれて購入しました。結論だけ持って帰ればいいと思います。

なぜ怖いか。過去の体験が原因。過去に失敗したり、親や先生に叱られたことが、つらい記憶として残り、「~してはいけない」というルールとなり、自分をしばる。このルールに抵触するとき、自分の行動が怖くなる。

他人の行動に、怒ったりイライラすることはないか。
なぜか怒るのか。その他人が、あなたのルールに抵触しているから。あなたはルールに縛られて自制しているにも拘わらず、その他人は平然と踏み越えて実行に移しているから、イライラさせられる。
他人にイライラしているよりは、自分をルールから解放し、「ワガママ」に生きればよいのではないか。さすれば、そんな自分を「好き」と言ってくれるひとが集まってくる。十分に生きられると。
他人へのイライラは、自己を解放するヒントになるよと。

なるほどー。

ぼく、よく叱られるんですよ。「○○学徒(○○の学者)として、あるまじき発言である」「文章を書くのを辞めろ」「インターネットを辞めろ」「発言権はない」「不愉快だ」「私たちと実際に関わりがあるにせよ、関わりに言及するな」って、大学時代からよく言われて来ました。2021年秋にも言われてました。そのたびに、けっこう凹むんですよー。
ぼくの軽率な発信が、だれかをイライラさせるらしい。最初は、大学生のとき、同じ研究室に所属している大学院生から言われて、かなり追い詰められましたー。物理的に眠れなかったです。
今年40歳になるにも拘わらず、大学院に行ってます。それほど勉強が好きならば、なぜ23歳のとき進学しなかったのか??と、自分でも不思議なんですけど(ぜったいに若いときに学び始めたほうが有利なのに)、当時は研究室の先輩に締め上げられて、逃亡するしか生き残る道がなかったからなんですよねー。
経済的な事情(お金がない、就職が不利)というのは、Takeru氏が言うところの、夢をあきらめる言い訳だったのかも知れません。便利ですよね、お金がないことを理由にして、やりたいことから遠ざかるのは。「カネがないなら、どうにもならないだろ」って、自分および質問者を「恫喝」すれば、有無を言わさず、それで話はしゅーりょーですからね。
だからいま、こうやって文章を書いていることが「怖い」ですし、公開したあと、しまった、と削除しようとすることも多いです。ましてや、本業である三国志にかんして発言したり、大学院に接点を持っていることを公言したり、お金を集めて歴史書を翻訳したりするのは、恐怖と隣りあわせです。奥歯がガチガチ鳴ります。最近は、もうガチガチは鳴りませんが、ひやっとして奥歯が冷たくなり、噛み合わない感覚がします。べつにあごの噛み合わせは悪くないから、噛み合わないことはないんですけどね。奥歯は自前なので、詰めものの金属が冷えることもない。というか口腔内にずっとあるから、よほど寒空で口を開けっぱなしにしない限り、奥歯が冷えることはないんですけど、それでも2021年は、ひやひやして辛かったんですよね。
このように文字を詰め込むことで、読みにくくなると思うんですけど、それは意図的なもので、よほど読みたいひとしか読まないので、伏せ字をしているのと同じ。生命保険の欄外の注意書みたいなものですね。

そんなこんなで、今年もよろしくお願いします!!(唐突)

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