【社会人の大学院生】科目登録は引くことと見つけたり
佐藤です。会社員歴15年で、早稲田大学の大学院に入学しました。
科目登録(履修する授業の選定)をしています。
社会人経験をへて大学院に入った、いわば「オトナ院生」が科目登録をするときに考えたこと、ぼくなりに悩んで出した仮説を書いています。
結論は「引くこと」です。
「引く」には3つの意味があります。順にお話させて下さい。
科目を吟味できる期間が、数日しかない。ぼく自身に差し迫った問題なので、ものすごく悩みました。大学院の入学をしない方にも、社会人の学びについて参考にして頂けたら嬉しいです。
登録する科目は最小限にする
社会人になっても学びに興味があるなら、「オトナ院生」の大学時代は、それなりに熱心な学生だったでしょう。講義や演習をたくさん登録し、時間の許す限りおおめに授業に出ていたと思います。
大学生・大学院生を、あえて「料金体系」という切り口で表現すれば、「授業料定額、授業受け放題サービス」です。せっかく入学したのだし、できるだけ多くの授業に出たい、と考えるのは、理に適ったことに見えます。
スマホの通信料が定額ならば、たくさんデータを授受したほうがお得。むしろ授受するデータが大量だから(大量にデータを授受したいから)、スマホの定額サービスを契約したんですよね。
しかしオトナの体力と集中力は有限。大学時代のように、出席する授業が多ければ多いほどよい、とは言えないのではないか。登録したい授業の数を「引き算」する。これが1つめの「引く」です。
この考え方を「老化」と捉えることは可能ですが、ぼくは、「人間の限界を知った」「分限をわきまえた」結果だと思っています。
仕事で考える
新社会人のころ(20代なかばまで)は、経験が多ければ多いほど、労働時間は長ければ長いほど、成長スピードが早いと思っていました。しかし30歳になるより前に、ガムシャラに働いても、成果と評価が付いてこないことに気づきます。
すべての分野で平均点以上を狙うことは、コスパが悪い。
こう思うのは、ぼくが特別に「偏りがあり、劣った人間だから」ではないと思います。
領域によって、他人の半分の労力で2倍の成果が出る。べつの領域では、他人の2倍の努力をしたが半分の成果しか出ない。自分が「やって当たり前、できて当然」と思っていたことが、他人にとっては著しく困難であるらしい。その逆もしかり。
30歳を超えて働き、わがスタイルの確立後に振り返ると、大学生のころ(20歳前後)に大量の授業に出席していたが、どれだけ習得し、成果に繋がったか。卒業論文に繋がったか?卒業後に活かされたか?
という疑念が生じます。
思い返すと、「単位をたくさん取るゲーム」をプレイしていただけで、教養や学問、専門性に繋がらなかった、まさに「単位を取っただけ」の科目が多かったことに気づきます。
「老化」現象とは無縁で、20歳前後の生命力が満ちあふれていた時期であっても、ただたくさん「出席するだけ」「単位を得ただけ」では、身についていなかったんだな、と反省します。
単位を落とすかも知れないので、多少のバッファ(余裕)を設けることは、業務遂行上の知恵ですけど、基本方針は「ギリギリまで削る」です。
研究者を1人ずつよく知る
オトナ院生は、自分の興味がある分野があり、学びたい先生が見つかって、進学したのだと思います。
大学院受験で、これから研究を習う段階であるにも拘わらず、「研究テーマ」「研究計画」などを書かされます。その時点で、なかば強制的に言語化したから、一応は明確になっていると思います。
※内容がつたなくても、面接では突っ込まれない(はず)
大学院(修士)の2年間の目標(到達地点)は、自分の指導教員の研究を「知る」だけで十分すぎると思っています。
指導教員の研究を「読みこなす」ことができたら、もう立派です。修士論文では、先生の研究に対し、オリジナルな「筋の通った感想」を1滴でも表明できたら十分でしょう。
※よほどの天才でない限り、修士論文はそんなものでは
指導教員の授業は、もちろん全部出席する。それ以外の授業は、なるべく取らないほうが、指導教員に対する「理解」を深めることができる。ただし、指導教員の授業だけでは、卒業に必要な単位に足りないようにできています。※その理由は後述
ならば、話を聞く先生の数をできるだけ減らす。引き算その2。
指導教員がA先生だとして、B先生が3コマ、C先生が3コマ、D先生が3コマの授業を開講していたとする。A先生以外で3コマが必要ならば、BCDの先生から1コマずつを取るのではなく、B先生1本に絞る。
※C先生のみ、D先生のみでもいいです
なぜか。どの先生にも、研究史=人生史がある。1コマをつまみ食いしただけでは、全体像が見えてこない。1人の先生の授業をなるべく多く取ったほうが、理解が深まるでしょう。
たった3コマ聞いたとて、B先生の全貌の把握は不可能ですが、BCDの3人に浮気するよりはいいと思ってます。
1人を理解するのですら困難
ぼくは昨年度、科目等履修生(非正規の学生)で、2人の教授の授業に出ていました。毎週2人の話を聞き、過去の著作を読んで、興味の所在、研究の変遷を知り、現在とりくんでいる著作についての話を聞いて……。
ぜんぜん追いつかなかったです!!
仕事ゼロで、24時間7曜日が自由。1週間に5コマ(1コマ90分)しか出席していなかったのに、予習復習が追いつかなかった。
「それはきみの頭が悪いだけだよ」と言われたら、即終了ですけど、そんなに頭は悪くないと思うんです。いちおう入試に受かってますから(笑)。入試制度の欠陥は考えないモノトスル。
オトナ院生ならば、大学の先生を「異業種の1人のオトナ」と見なす、という視点を持てるでしょう。
かれらにも、自分と同等かそれ以上のバックグラウンドがあることが想像できるならば、講義をつまみ食いすることに意味がない、という結論に達するでしょう。
ストレートで進学した大学院生(22歳)は、「せんせい」「おや」「しゃかいじん」は、モヤのかかった観測不能なオトナたち。「学生」「子供」「バイト先の上司」などの接点しか持てない。でも、ぼくらは違います。先生の人生史=研究史をフォローするのは、すごく大変だと想像できる。
20代の学生から一歩引く
3つめの「引く」は、学びの態度について。
大学院(修士)のカリキュラムは、22歳か23歳の若いひとが受講し、10年後20年後に研究者として独り立ちするための、基礎の基礎として設計されています。建築ならば「地ならし」です。
「若いときは詰め込める」「ムリは、若いうちにしかできない」というスパルタな考えに基づいて、卒業に必要な単位(出るべき授業)が多く設計されているように見えます。
その証拠?に、20代半ば以降の博士課程は、単位数が少ない。
はじめから題材を絞り込むよりも、興味がなさそうな分野でも、「やってみると面白い」「将来の研究の幅が広がる」という期待があるでしょう。とくに若者は、何ができるか、何が好きなのか、分かっていません。環境に投げ込んで、トライ&エラーをくり返すことが「必要悪」です。
オトナ院生のぼくらも、会社に入りたてのころ、「これ、何の意味があるんだ」って不満を溜めながら、苦行や通過儀礼をやらされましたよね。「こんな形で、今に生きている」という武勇伝があると思います。
が。
オトナ院生が、広く発散した分野を聞きかじることは、あまり意味がないと思います。ぼくらは、10年後20年後に研究者になるんでしょうか。いいえ。そんな悠長なライフプランは組めないし、現時点で何らかの経験と専門性、そして職業がすでにあるでしょう。
いやらしい話、「社会人だけど学び直したい」というひとは、社会的に最低限の成功(独り立ち)をしていて、精神とお金に余裕があるひとです。生活がカツカツならば、労働を中断できないし、「再教育を受けて自己投資し、将来の飛躍にそなえよう」なんて思えませんから。
「配偶者の理解」を得て進学しているパターンもあるでしょう。配偶者の取得は、今日では社会学的な競争です。勝者、成功者に該当します。
広い知見、遠い異分野への視点、という意味では、自分の職業がすでにあるじゃないですか。これが大学院生のなかでの優位性です。もっと言えば、ストレートで研究者になった先生に対する強みにすらなり得る。
オトナ院生は、もう「違う世界」を最低1つは見てきたのだから、あせって、22歳の大学院生と競って、幅を広げなくてもいいと思います。人生のフェーズが違うから。
大学の先生は修士課程の学生に、「授業は、ぜんぶ出ろ、広く出ろ」というアドバイスをしますが、それは22歳に向けたメッセージです。
会社にたとえるならば、新入社員に対する、社長の訓示です。同じように聞かなくてよいのではないか。自分の経験に照らして、取るべきところは取るが、真に受けなくてよいのではないか。
学問の広さは主体的に獲得する
ぼくは学問の広さを否定しているんじゃないですよ。ピラミッド型の知性、山脈というか、山塊のような知性が必要だと思ってます。
卒業のための単位稼ぎの「ために」、短期間に幅広い授業をたくさん取りまくっても、意味がないのではないか。
「外圧」をトリガーにして、何かが身につくことは少ない。自分のペースで広げればいいと思います。それができるのが、オトナです。その結果、学問が狭まったとしたら、自己責任ですし、それもまた、自分で意識的に選び取った結果でしょう。
「単位取得が忙しくて、指導教員との接点が減る」
「単位取得が忙しくて、研究どころじゃない!!」
とならないためにも、オトナ院生が科目登録をするときは、3つの引き算が必要ではないか。という記事でした。長文すみません。まさに、「いま・自分」の問題なので、熱が入ってしまいました。
1)出席する授業の数を引く(減らす)
2)話を聞く先生に人数を引く(絞る)
3)22歳向けのカリキュラムから一歩引く
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