見出し画像

SNSは意見表明や議論の場ではない/人権侵害のトラブル?を受けて

佐藤ひろおです。会社を休んで、三国志の研究をしています。

ぼくは経過を見ておらず、まったく気づかなかったのですが、歴史学の有名な研究者が、SNSでトラブルを起こし、それが周囲に波及しているみたいです。波及した結果、ぼくも関わりのある界隈で、ある決定が下されたみたいです。それをきっかけに、事案を知りました。
※ほんとに中身を見ていないです。ウワサ話レベルすら知りません。ていうか、自分の大学院の予習とか、歴史書の翻訳などで忙しいっす。

つねづね思うんですけど(笑)
SNSの運用って、会社の事業にたとえるならば、販売促進やマーケティングだと思うんです。

いい製品やサービスが完成したあとに、届いてほしい人たちに、きちんと知ってもらうための活動です。
「知ってもらう努力」というのは、確かに必要です。手を抜いたら、きちんと届かない。届くとしても、10年後とかになってしまう。「よいものさえ作れば、黙って待てばよい」はマチガイだと思います。

一般的に、広告や宣伝・告知は、毛嫌いされますけど、それは、伝える相手や伝え方、タイミングをミスっているからです。
要らない情報の押し売りは、だれだってイヤです。理想論かも知れませんが、やはり、マーケティング=「知ってもらう努力」は大切です。社会全体からみて、不当なもの、ジャマなものでもない(はず、だといいな)。

……徐々に本題に近づいてきますが、
企業のみならず、言論をあやつるひとでも同じだと思います。

研究開発(価値があるアイディアを思いつく)、製造(アイディアを文章などにする)は、べつのところでやるのが、クレバーではないでしょうか。SNSで出来るのは、販売促進です。ひらたくいえば、SNSは、本の宣伝で十分です。
「こんど、こういう本を書きました。がんばって作ったので、よかったら、手にとってみてくださーい」。以上。
コンスタントに「本が出るよ」の告知ができるように、本を書くための努力をすればいい。本業をがんばって下さい。

学者をふくめ、見識者??が、SNSで議論するのは、
研究開発とか製造を、お客さんの出入りする店先でおこなうようなものです。場違いだし、うまくいかないし、場合によっては、企業とお客さん(発信者と受信者の双方)を危険にさらします。
自動車の販売店の店先で、設計の図面を引かれてもこまるし、エンジンの耐久テストをされても危ないし、車両の組み立てラインを流されても、恐いからやめてくれって感じです。

マーケティング手法のひとつとして、開発や製造プロセスを部分的に見せて、興味を持ってもらう。ウラカタが、ちらっとオモテに出てきて、親しみを持ってもらう……、というのはアリですが、
それらは、マーケティングの一環なんだよ、って分かった上で、線引きをしての顔出し、チラ見せに過ぎません。
あたかも、ウェブ上で、ものが作り上げられているかのように錯覚することがあり、自分の当事者かのような雰囲気が醸成されているときは、ただ、「マーケティングがお上手ですね」と思うだけっす。

SNSは、意見をいう場ではないし、ましてや、ライバルと討論したり、意見を摺り合わせたり、同好の士と切磋琢磨して、より優れた知見を獲得する場ではないんです!!
ほんとうの開発や製造は、密室で(オフライン、もしくは非公開のオンライン)で、いまもどこかで行われています。勘違いしてはいけません。

オフライン、もしくは非公開のオンラインの場から閉め出され、「オレも、研究開発や製造のプロセスに携わりたいな」と思ったら、そこに携われるように努力し、方策をねるべきであって、
SNSを駆使して、なにか意味のあることをやろう、言おうとするのは、ただの勘違いさんになってしまいます。

けっきょく、なにがどう人権侵害だったのか、分からずにこの記事を書いてますが、「つねづね思うんですけど」的なことを書いてみました。SNS学者となるなかれ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?