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論文を書き始める前に必ずやること/データを全部見直す

佐藤です。三国志の研究をしています。今日は大学図書館に行きます。
ぼくは41歳にして(41歳だけど)博士課程1年生です。博士論文を書く時点で「人生2周目」なので、ストレートに進学して20代後半で博士論文を書く場合よりも、この状況を相対化して見たり、再現可能なノウハウ化ができないか?という視点があります。

いま修士論文(今年の1月に提出済み)のあと、新たな2本目~3本目の論文に取り組んでます。
博士論文は、おおむね10本程度の一連の(論点や主張が繋がる)論文から構成されるので(分野や大学院、指導教員によって違う)、10本ほど書けたら、博士号を申請できます。
同じことを10回繰り返す、ボツになる試行回数も含めたら、10回以上繰り返すわけですから、手順のマニュアル化、定型化をする価値があるでしょう。

そのプロセスの1つとして、今回は「論文を書き始める前に必ずやること」というパーツをメモします。
いま現在進行形でやってて、「やっぱ、これだね」という手応えがあります。

 論文を書き始める前に必ずやることは、自分が分析対象とする資料やデータ・テキストを、すべて読み返すことです。
これが結論です。

ぼくは文学部(文学学術院、文学研究科)の大学院生なので、分析対象とする古い本(テキスト、三国志)を読み返すわけですが、
テキストに限らず、集めた調査や実験結果のデータ、サンプルなど、とにかく論の材料・根拠となるものを見返してください、という言い方をすれば、異分野にも普遍化できると思います。 

いやいや、資料やデータ・テキストは、もう十分に読み込んでいるよ、だから論文を書けるんだよ、
という反論があるでしょう。
わかります。

論文の構想を立てるとき、「データと先行研究の往復運動」をしているはずです。データ(テキスト)を読んで、こんな内容のものだな、こんな特徴があるな、と当たりをつける。それが先行研究でどのように分析されているか確認する。「先行研究のおっしゃる通り!何も足せない、何も引けない」と思ったら、自分の論文にはなりません。「先行研究の言ってること、なんか違うくないか?」と思えたら、論文の構想になる。
あるいは、さきに先行研究を見つけて、そこで扱われてるデータに興味を持って入り込む。

これらは、往復運動です。
先行研究は、本文及び註釈のなかにデータ・テキストを論拠にあげているから、先行研究の論文に引用された中のデータ・テキストを読む。その引用の仕方、切り取り方、解釈の付け方は、それで妥当なんだっけ?と、もとのテキストに戻る。もとのテキストを、先行研究の掲げたようなものの見方で読んでみて、すんなり流れるかチェックする。資料について知識が増えたら、また先行研究を読んでみる。無限にくり返し。

この往復運動をある程度やると、論文のタネが育ってくる。
往復運動に回数の上限はないが、だんだん自分なりに着目したい点が絞り込まれてくるので、小刻みand高速な往復運動になるでしょう。

頭のなかに、自分で論文にするなら、こんな章の構成で、こんな結論、落としどころになるかな、という青写真が浮かんでくる(この部分のノウハウは別の記事で書くつもり)。
先行研究に立ち向かうために、鍵となるデータ・テキストはここだな、という「武器」が明確になるでしょう。キラー史料です。

ここまで来ると、よし、論文を書き始めるぞ!
となるんですが、ちょっと待ってください。
論文を書き始める前に必ずデータ・テキスト全体を見返します。この手順を、いっぱつ挟むとよい。のではないか。これがこの記事で言いたいことです。

自分が論文でやりたいこと、展開したい論理構成、主張したい結論が固まった上で、改めてすべてを見返すと、論証に使える、都合のいいデータがたくさん見つかります。これは、色眼鏡をかけて解釈を捏造せよ、というのではない。ごく一般的な読み方、前提ゼロの読み方、先行研究に準拠した読み方では、けっして輝くことはなかった(特徴が浮かび上がらなかった)部分が、自分の論のオリジナリティを支え、説得力を担保する材料になることがあります。
カラーバス効果。
くれぐれも繰り返しますけど、自分の論の都合がいいように、強引に解釈や見方を捻じ曲げろ、と言っているのではないです。

これで論文を書けそうだ、先行研究に対して物申せそうだ、という見通しがある。それ以前の工程で、データと先行研究の往復運動を飽きるほどしているのだ。データを読んでいないわけではない。むしろ、同時代の研究者のなかでは、一番読み込んでいるのではないか。
そのような確信に至っているわけなので、論文を書いてやろう!と思えたはずです。「あなた」が当該データに精通していないわけではないのです(くどい)。しかし、そのうえで、あえてもう1回、全部に目を通すんです。

先行研究が論拠に使っているテキストやデータは、同業他者(ほかの研究者)が間接的によく読んでて、知られている可能性が高い。もしくは、このテーマと題材で論じるなら絶対に外せないよね、みたいな定番のデータ・テキストのいうものが、必ずあります。
その既知で定番のデータやテキストに対して、「別の読み方ができないか?」「その理解で合ってるんだっけ?」という、試みの脳内シミュレーションは、同業他者がわりと誰でもやっている、と思うべきでしょう。そこの解釈をこねくり回しても、「想定内」と思われてしまう。
もうステージに立ってるひとを指さして、「あの人、歌がうまいね。オレが見つけた、見出した」というのと同じ虚しさがあります。
しかし、過去の研究で言及がない部分を、論拠に引っ張ってこれたら、それだけで自分の研究の優位性になりますからね。全部を洗い直して、自分が論拠にできるものを、いまいちど探してみるのは、オトクな作業です。

なにも、マイナーなデータや、門外不出の古文書をリークせよ!と言っているのではありません。
研究は、先行研究との連関、連環のなかで生まれますから、知らず知らずのうちに、「このテーマ、この題材なら、ここを使う」というバイアス、常識が構築されちゃっています。
公開されてるデータ、出版されてるテキストなのに、そんな観点で見たことはなかったわ、みたいな掘り出し物は、意外に多いです。埋まってもいない、埋(うず)もれてもいないので、掘り出し物って比喩も違うだろう、というデータやテキストは、多々あります。

すべてを読み返すのは、時間がかかります。論文の提出の締切に遅れたらダメなので難しいですけど、「すべてを見返す」という期間、1週間か2週間くらいを、必須の段取り、手順として、スケジュールを立てるべきだ、それをする価値がある、とぼくは思います。

また、メンタルもしょうじきシンドいです。もう熟知してるよ、研究の前半の「往復運動」のときに、すでに一度は読んだよ、ってテキストやデータなので、そんなにエキサイティングな作業ではありません。
でも、念のために。自分にとってのお宝の取りこぼしがないように!我慢して全部を読む。

確実に、締め切りまでの日数を消費するわけなので、焦りという観点でもメンタルがつらいですが、
それでも、やる価値があります。

ぼくは、15万字くらいの修士論文を、週4で会社勤務しながら、5週間で書き上げたんですが(怖いことしますね)、
締切の8週前~5週前くらいは、研究対象となるテキストの全文の読み直しをしてまして、おかげで論文がすごく良くなったと思います。
思いつきandつまみ食いにならず、網羅的で、層の厚い論証になったはずです。
いまでは、全文読み直しのフェーズにくると、「勝ち確定」のBGMが流れます。時間も体力もメンタルも、かなりひどい消耗戦ですけどね。

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