見出し画像

今年のがんばりは5年後の名声/2026年を見据えよ

佐藤ひろおです。会社を休んで三国志の研究をしています。

毎年、新しく本を出したり、ネットで活躍したり、名誉や地位のある職を得たりしているひとが、出て来ますよね。
かれらを見ていると、羨ましい気持ちは禁じ得ないのですが……いま、かれらと自分を比べても、なんの意味もないんです。なぜか。

遡って見てみると、かれらは、2015年や2016年に、今日の評価に繋がるための活動を開始しています。 ※誤差や例外はありますが

どういうことかというと、
2021年の表舞台は、2016年のがんばりの「答え合わせ」
……だったんですよ。へえ、へえ、へえ。

じゃあどうすればいいか。答えは明白。
腐ることなく、いまから、2026年の表舞台に出るために、仕込みを始めればいいんです。なーんだ、そうか。簡単ですね(?)

なお、2018年からがんばりに着手しているひとは、まだ世間からの評価に結びついていないかも知れませんが、2023年に、きっと日の目を見るんだと思います。腐ることなく、継続していれば。

若いときは、応募して受賞されるとか、偉いひとに見初められるとか、ネットやマスコミにたまたま拾ってもらうとか、そういう「幸運」によって、成功したひとが生まれていました。
アラサー以降は、うまずたゆまず、最低でも5年の仕込みをしたひとが、ほぼ高確率で、何者かになっていると思います。

20世紀のスポットライトは、ものすごく照らす範囲が狭いが、ものを焼き焦がす光量をもっていました。でも、今日のスポットライトは、薄く広く、やんわりと「そのへん」を照らしてくれます。
何者かになるのは、とても簡単になりました。

2021年の現在、「あなた」が停滞を感じているとしたら、2016年のがんばりが足りていなかったからであり、現状の自分を責めるのは、お門違いです。悲観しても筋違いですが、後悔してもしゃーないです。

いまだに2020年に注目しすぎでは??

どこかの本で言ってましたが、
「東京五輪2020」が喧伝され、2020年を注視するようになったが、2020年よりも先への眼差しが失われてしまったと。
感染症のせいとはいえ、2021年になっても、「2020」の五輪をやるかどうか、まだ分からないんです。いまだに、「2020年のイベントがどうなるか」注視し続けているんですね。イベントを決行するにせよ、「2020年のイベントをどうやるか」を議論しています。それって異常です。

東京にいくと、街のあちこちに、「2020」って書いてあるので、地方在住者としては、ドンビキするんです。キーホルダーやペナント?は、どれも、「2020」なんですよ。作り換えるお金がかけられなかったのか、もうすぐ始まるイベントは、「2020」と強弁したいのか分かりませんが……、

お言葉ですが、2020年は、半年前に終わりましたよ??
※「王様の耳はロバの耳」の調子で

「2020年は、感染症によって諸事が停滞したので、もう1回、2020年をやり直したい」みたいな冗談もあって、いいジョークに仕上がっているようです。ていうか、ジョークじゃなくて、本気なのか??
2021年も、もうすぐ半分終わるとしているのに??

目を覚ましましょう。
2025年、2026年を見るべし!!

そういうわけで、2025年ぐらいに、ぼくは、ひとかどの学者になってると思います。2020年から、コロナきっかけで人生を見直し、先生に係わって、学び始めたからです。……いや、笑いごとじゃなくて、マジでなってると思います。
そのとき、このnoteを見て、「あがいてたなー」と笑うんです。そして、「やはり、5年前から仕込みをしてたんだな」って、証拠資料にもなるんでしょうね。そうなっても、ひきつづき、よろしくお願いします。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?