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子供の出版あそび・作家ごっこ/Kindleで本を出します

佐藤ひろおです。会社を休んで三国志の研究をしています。
昨日は、電子書籍をくさし、「紙の書籍」をもちあげましたが、

もう少し柔軟に考えたい。せっかく時代が提供してくれているツールを使いこなしたいな、と思ってもいます。

現代アートは「子供の落書き」

noteを通じて知り合ったひとに、現代アートをスマホで見せられ、「これどう思います?」って質問されました。絵の具が適当?に乗っているだけで、像を結んでいない。筆を塗らして、ぴやっ!とやっただけ。
ぼくは、「子供の落書き、って言ったら、センスがないやつって言われる場面ですよね。だから、ノーコメントで……」って答えました。

そしたら質問者は、「子供の落書き!いいですね、子供の落書き。自由で、捕らわれがなくて」と、予想外の好感触。
???
ぼくは、常識人サイドとして、デッサンとか透視法とかを無視した絵を酷評する言葉として、「子供の落書き」という比喩を持ち出した。学校ならば、落第するやつです。
でも質問者は、子供の落書きこそ、最高の褒め言葉だと思ってるんですね。なるほどそうか…。異次元超人だ…って、平凡なぼくは感服しました。

大人だって「ごっこ遊び」をしていい

子供の落書き、子供がやるような「ごっこ遊び」。これの復権というか、忘れていた無邪気さと、もう少し向き合いたいと思いました。

「おままごと」は、ハタから見たら、なんの意味も価値もない活動でしょう。もちろん、利益も生まない。酷評しようと思えば、なんとでもできる。でも、当人たちは、没入して夢中です。酷評なんて、聞いているヒマないです。楽し過ぎるので。

将来、家族生活を営むための訓練、予備行動である。もしくは、日々の生活で見聞していることの再現、再演である。子供にとって思い通りにならない、現実の家族と折り合うための自発的治癒行為である…。とか、それっぽく分析できましょうが(いま適当に書いた)、本題じゃないっす。

遊び飽きたら、もしくは日が暮れたら、サッと潮が引けるように、「役割設定」とか人間関係が解消される。が、また翌日、居合わせたメンバーで、新たな設定が生まれる。

大人だって、同じように遊んでもいいんでしょうね。

たとえば、Kindleで本を出版すること。
編集者を介在せず(他者の承認がなくとも)、印刷コストや在庫リスクを抱えず、個人で一瞬で出来てしまいます。
「本を書くとは」「作家とは」「価値ある文とは」「目次の構成が」「想定する対象読者が」「売上の目標は」「企画書の内容と形式は」など、ありがちなハードルを、全部すっとばすことができる。

noteを書いているひとなら、記事を繋ぎあわせて、「はじめに」と「おわりに」ぐらいを適当に短文で付け足せば、それは1冊の本です。商業出版と、肩を並べて流通されます。
まさに、「おままごと」出版であり、「作家ごっこ」ですけど、それをシームレスに、見境なく抵抗なく、さっとできてしまうのが、捕らわれのない、子供のようなひとなんだろうと。

Kindle作家を、「おままごと」「作家ごっこ」と言っていますが、これは、批判してるんじゃないです。文脈からお察しください。そういう常識を、いちど解除してみたい、という捻った文章です。

一周回って、成功している社会人って、みんな子供みたいに、事業に夢中になっていたりします。
amazonさんに、わずかばかりのシステム利用料を差し出して、大人だてらに、大人ながらに、ごっこ遊びをさせてもらう。

内容は、何でもいいんですよ!!
極論すれば、1ツイート(140文字)でも。

それぐらいの余裕と柔軟さ、ゆるさを失っているとしたら、雁字搦めになってます。さまざまな思い込みを点検してみたいものだなと思いました。というわけで、今年の夏、Kindleでなにか出します。

システム利用料は、子供心を取り戻すための入場料です。プロ(といっても定義が溶解していますが)と肩を並べ、同じ流通経路に乗るための参加費。そう考えたら、amazonさんの取り分への捉え方も変わりそう。
GAFAによる搾取だ、天引きだ、とか、浅薄な言葉で目くじらを立てる人間ではいたくないです。抜かれた売上金が惜しければ、別の方法で稼げばいいじゃん。大人なんだから。
ただし、ぼくはamazonの回し者ではないので、「事実上の標準」がべつの会社のサービスに移ったら、しれっと乗り換えます(笑)

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