『まつげって何だろう』 〜 多様性への期待
ルール
自分の言葉で書くこと
記事を書いているときに何も調べてはいけない
外部の情報を引用してはならない
賢いふりをしない
書いた後に大幅に修正しない
誤字脱字の修正はOK
従って事実と異なることが書いてあります。創作としてお楽しみください。
目の上のまつげ
僕は比較的まつげが長い方だ。まつげ長いね〜と言われる機会が定期的に訪れるのでそう思っているが真偽のほどは確かではない。
なぜまつげがついているのか、まつげがないとどうなるのか。今日はそこから考えていこうと思う。生物について造詣は深くないが、毛は身体を守っているという知識はなんとなくある。
まつげは恐らく目を守っているのだと思う。目を閉じると目ん玉と皮膚の間にまつげが丁度来るのが確認できる。そのようなスキマを埋めているのがまつげなのかなあ。
身体を守るもの
ちゃんと調べればもっと確からしいことが言えると思うが、今、目に入る範囲で、身体を守っているであろう機構はたくさん見つかる。髪の毛、まつげ、ひげ、脇毛…毛がたくさん生えている。毛だけではない。気管に間違って食べ物などが入ると、自分の意思と関係なく咳が出る。ずっと咳をしていると嗚咽になる。
身体に悪いものを食べるとお腹を壊すが、下痢として強制的に外に出しているとも考えられる。
誰が設計したのか
つくづく身体は良く出来ているなあと思う。誰が設計したのだろう。体毛は身体を守るという意味もあるだろうけど、毛自体に魅力を感じもする。(毛がない方が好きという人もいるのは知っているけど)
まあ、咳は喉付近で増殖したウイルスを外に出して、本人にとっては異物を排除しているつもりでも、ウイルスにとっては他の媒体に自分の分身を広めることができるわけで、人間社会のシステムを悪用する輩もいるにはいるけども。
とにかく人間の身体は、平常時の処理の中に、たくさんの例外処理も含まれていて、生命活動が停止しない程度に例外を補足して上手く対応しているように思える。(例外処理に失敗or過剰反応して生命活動を脅かすこともあるけど;過剰なアレルギー反応とか)
進化の過程
進化論的にこのような処理は徐々に追加されていったのだろうか?いろいろな試行錯誤の末、認知されている例外処理をもっている個体が生き残っているのだろうか。確かに免疫には個人差がある。病気のかかりやすさに個人差がある。そういった個人差を技術で乗り越えた先で、人類はもっと多様になったいくのだろうか。
結論
人類の多様な形に期待する。
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