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やりたいことをやってた筈なのにいつのまにか元の場所に戻ってた。

ひろ健作です。

若いうちは何にでも挑戦しよう。後先考えず好きなこと・やりたいことをやってみよう! なんて言いますよね。後々死ぬときになって後悔しないように――なんてね。

でやれる人はどんどんやるし、勉強中の人はフリーターなんかをやりながら勉強会や交流会に積極的に参加するし、いまはやれてない人でも家にこもりながらもユーチューブやnoteをはじめたりして自分の道を探します。


かつてのぼくも、そのつもりでやってきました。


20代は海外旅行へたびたび出て友人を作り、見聞を広める。

30代は数々のセミナー・交流会に参加。海外ミュージシャンと仲良くなりライブに呼ばれたり、俳句・ヨガ・自然療法・ダンス・歌舞伎・演劇・絵画……まったく違う畑の分野を覗き、見識を深める。長年の確執だった両親とも和解。毎日が刺激的に。


40代はそれまで学んできたカウンセリング・コーチ技術を糧に独立。全国的に回り、恋愛から結婚、仕事から人間関係まで人生を変え、しあわせを手にするお手伝いを妻とし、本も2冊出しました。


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2作目 「たいせつな彼と もっとしあわせになれる 恋愛の教科書」
    【すばる舎サイト】 

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第1作目 大好きなあの人にずっと愛される本」中経出版


けれどもいま、noteをかきはじめてふと、想ったのは、昔mixiなどでやっていたことをまたはじめからしようとしているのではないか。やりたいことを思い切りやってきたように想っていたけれど、想ったほど成長できてないんじゃないか、と思ったのです。

それはまるで版画家 エッシャーのだまし絵「滝」のように―― 

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下中央に水車が観えますね? そこからやりたいこと(水)を流しはじめた。その流れはときに立ち止まったり滞留することもあったけれど、あきらめずにやり続けたことで一定の成果が出ててっぺん迄登った、ように観えた。


が、上まで上がった水は滝のように元いた場所に落ちた。そうしたときにふと、あれ!? あれだけやりたいことをやってきたのになんかまだ、やれてないんじゃないかな、と想ったのです。


一方20代の前途洋々の若者のつぶやきを読んでいると、まるでこれから自分もまたやりたいことを思い切りやって行きたい! 海外の人たちも含め、たくさんの人と出逢い、友だちになりたい! という想いだけはふつふつと湧いてくるんです。


けどでもその向こう側で、もうひとりの自分が、いやいやそれ、もうやったっしょ。いまからやる意味ないっしょ。もうそろそろまわりはみんな落ち着いていく頃だし……という声を上げてくる。


年令のことを忘れて若い人たちと同じノリで行きたい! とイケイケで行きたいな自分と、そのもう一方で沈思黙考のラストサムライになったような達観した自分がごにょごにょと出てくるんです。

実際、年代性別を超えた友人たちとは熱い想いをかわし、夢を語り、一方の先生として教える立場の自分は冷静沈着に、落ち着いて諭す。なんかエッシャーの絵の出だしの自分と、戻ってきた終わりの自分とが同居していて、ときに同じ人間なのに別の人間がいるような感覚に陥るんです。

超明るいかと思えば、超暗い。2つの顔を持つ男と言えば、カッコいいのですが……。


ところでよく、若いうちから何でもチャレンジしたがいいよ、後悔しないようにね。なんてわかったように言う人がいます。


けれども禅僧じゃあるまいし、そんなそんなふうに生きられている人なんて正直これっぽっちもいないんじゃないかな。


いやあ僕は思い切りやりたいことやっちゃってますヨ なんてウソ吹く人もいるかもしれないけどぼくだってそう想っていたクチ。ずっとそのつもりでいたけれど、もっとやりたいことが別にあったんじゃなかったのかな、とか、あれでよかったのかな、なんてこと考えてる自分がいます。


いま、再び見直され300万部のベストセラーとなった「大河の一滴」を著した五木寛之も、人々はみな大河の一滴にしか過ぎない。上流から海まで流されるまでその人(一滴)は途中であらゆる経験をして、誰一人、まったく一緒ではなく、大河の一滴のように人それぞれの経験をして人生を終えていく、と述べています。

そう考えると、思うようにやれない人生にも貴重な人生があり、苦あれば楽あり、楽あれば苦ありで、楽しいことばかりが人生じゃない。嫌いなこと、苦手なこと、嫌なこと、やりたくないことにも何かしら意味があるんじゃないか。


折り返しの年代でやりたいことを思い切りやってたつもりのぼくが言うのもなんだけど、やりたいかどうか、好きかどうかといったことは相対的な感覚でしかないんじゃないかなって想ったんです。


だとしたら、元の場所に戻ってきたように想えても、それは前の自分ではなく、別な自分。何度でもやり直せるしやっていい。年令性別人種とか関係なく、いつでも好きなときに好きなように生きていい、やっていいというのがひとつの生き方じゃないかなって気がしてる。


……とこんなふうにつらつらと書いていたら、成長できてないんじゃないか、やりたいことやれてなかったんじゃないか、と想えてた自分がちょっぴり偉くなれた気がして、何だか内側からふつふつと元気が湧いてきた。


わずか1ページの振り返り。けどそれで人生の振り返りができた。なんかnoteってステキだな。


おまけ)フィッシャーのだまし絵を検索してたら、実際にリアルで作っちゃった人がいた。しかも水が下から上に上がって落ち、永久に回ってる!?




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