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好きを仕事にしなかった私たちの教訓

恋愛&結婚、願望達成コーチ
ひろ健作&マダムれいこです。

きょうは冒頭、ちょっとビックリすることを
お話ししましょう。

それは・・・・・・

好きを仕事にしなかった


こと

そういうと昔から知っている私たちのファンは、
「えーっ ひろさん、れいこさんおふたりは
好きを仕事にしなかったんですか?」

と言うでしょう。

はい、そうなんです。

好きなことを仕事にはしていない
んですね。

「好きを仕事に」の意味


よく「好きを仕事に」というのが
スローガンとして言われています。

仕事というものは嫌なことするのが当然で、
好きなことで仕事になる、お金になる
というのは妄想。

だから嫌でもやんなきゃいけない
という呪縛がふつうはある。

その呪縛を解くために
「好きなことで仕事になるんですよ」
というメッセージを送っている。

だから多分に便宜的に
「好きを仕事にできるんですよ」って
言っている部分があるんですね。

というのも
好きか嫌いかは表裏一体、
好きかどうかは状況に応じて変わるから

――です。

好きかどうかは紙一重


・・・・・・とこういう風に言っても、
「いや、私は好きなこと仕事にできてる」
という人が一定数いると思うので、
もう少し解説してみますね。

恋愛&結婚にたとえるとわかりやすい


たとえばあなたに
好きな人がいるとしましょう。

熱烈に恋焦がれていて
片ときも忘れることがない。

できれば一緒になりたい。
一緒にいられるならほかに何も要らない。
そのくらい好きな人です。

けれどもどうでしょう?

実際に一緒になってみたら、
「アレ? なんか違う・・・・・・。
〇〇さんってこんな人だったのかな!?

これが憧れの〇〇さん!?」

って思いはじめることありませんか?

こうして
幸せ感に疑問符がついていく
ことがあるのではないでしょうか。

手に入らないときは、
「死ぬほど欲しい!」と想っていても、
手に入れてみると、なんだか落ち着いてしまって
ほかに目が映りはじめる、ということが――。

シンデレラ物語のその後が描かれない理由

ところで、皆さんご存知のシンデレラ物語では、
継母や義姉からいじめられていたシンデレラが
魔法をかけられ、ドレスを着て踊ります。

それを観た王子様が見染めて
シンデレラと結婚します。

シンデレラは王子様と幸せに
暮らしましたとさ、
めでたしめでたし・・・・・・

これで話は終わっています。

しかし、その後のことは描かれていません。

貧しい家に生まれ、いじめられ続けたシンデレラが、家来や執事に何でもやってもらえることを分不相応に感じたり、
王室に入った元一般人だから、偉そうにしてはいけないと気を使い過ぎたり・・・・・・、

逆に周りに気をつかい、声をかけ過ぎて、悩みの相談に延々と時間を割いたりしているかもしれない。

あるいは大衆に笑顔を振りまき過ぎて疲れたり、王位に反発する一定数の口撃に過剰に反応したりしているかもしれない。

そうやって気疲れしたシンデレラのストレスを、王子様が受け止め切れず、昔いじめられていた筈の継母のことを懐かしく思い出しているかもしれない。

こうしたシンデレラ物語その後――は描かれていないんです。

それに、「シンデレラ物語」も時代の変遷によってずいぶんと描かれ方が
変わってきている。

元々のシンデレラはいじめられっ子でシクシク泣いているバージョンですが、現代版ディズニー版実写型シンデレラでは、現代の女性に受けがいいようにアレンジされている。

まだ魔法をかけられる前――
馬に乗っていて王子様にバッタリと出逢っても、男性にこびへつらうような姿勢は一切見せない。堂々とし、強気でポジティブなシンデレラが描かれている。

王子様と出逢い、結ばれていくのを尻目に継母は三行半を突きつけられ、失意のどん底になる表情になる表情が描かれています。

いじめっ子といじめられっ子の描かれ方が
完全に入れ替わっているんですね。

つまり。

物語(人生のストーリー:絵巻物)は
一筋縄ではいかないということ。

好きとか嫌いとか
そういう単純な話ではない。

このことが私は言いたいのです。


きらいがスキに変わる瞬間

旅行が好きなのに、
旅に出ると「なぜか」落ち込んでいた私

少しここで私(ひろ)の話をしましょう。

よく、20代、30代のときって
ひとり旅をする人いるじゃないですか。

当てもなく行きたいところに行き、
出逢う人たちとの交流を楽しむ
という感じで――。

ところが私は旅行が好きなのに、
2回に1回は不安になり、
落ち込んでいたんです。

本来なら大好きな旅行で
楽しくてしかたがないハズなのに・・・・・・

好きなことしているのに
なぜか楽しくない。

当時はなぜだかわからなかった。

けどいまならわかるんです。

好きな旅行を好きなようにできるのは、
意外とうれしくないということが――。

好きなことが思う存分できるというのは、
この上なく不安になることでもあるんです。

これまで【不満という檻】の中でいたのが、
「つかまるものがなくなる自由」を手にする
わけだから。

好きなように生きることはある意味窮屈


よく
「好きなように生きよう!」
「好きなことをしよう!」
「好きを仕事に――」
などと言います。


一見耳障りが良く、
理想の生き方のように思えます。

けれどもよくよく観てみると、
シンデレラ物語その後でわかるように、
そこまで理想的ではない。

好き勝手生きているようで、
何かを先送りしているかもしれない。

仕事に就いていなかったり、
恋愛も結婚もせずずっとひとりでいたり
だとか――。

ここで言いたいのは、
仕事すべきとか結婚すべきとかじゃ
ないですよ。

それはしてもしなくてもいい。

ただ、
嫌なことしたくないというのは、
自分だけで好き勝手に生きているだけ
かもしれない
といいたいのです。

自由になると、ある意味不自由になる
面があるんです

旅に出るというのは
自由でいて、つかまる所がない。

つかまる所がないから
逆に不安になるんです。

嫌だ嫌だも好きのうち


あなたの周りで「親が嫌い」だとか、
「会社が嫌だ」とかずっと言っている人
いませんか?

「もっといい所があるはず」だとか言って。

けれどもそう言っているのに
出て行こうとしない。

「そんなに嫌なら出て行けば!?」
と言おうものなら怒り出す(笑)。

それは、
痛みがいい案配でバランスしているから」
なんですね。

「痛みがあるから心地良い」。

このことがわかっていないと、
ただ単に嫌な場所を脱出しても、
楽しいハズなのに楽しくない
ジレンマに陥ります。

まとめると、
「好きとか嫌いとかは表裏一体」
概念なんですね。

父との確執から生まれた探求心


私の父はジキル博士とハイド博士のような
二重人格の人でした。

外では異常に人に気づかいをする聖人君主。
しかしひとたび家に帰ると、
ヒステリー性で母や私を罵倒する人でした。

内と外では完全な別人。
そんな父を目の前にして
母も私も出て行こうとはしなかったのです。

嫌よ嫌よも好きのうち

嫌だ嫌だと不満を並べ立てる人が
嫌な場所から出て行こうとしないのは、
そのほうがしっくりくるから。

痛みのあるほうが心地よく、
楽園だと逆にイライラや不満が募るんです。

このことがわかっていないと、
エアポケットに入り、乱気流に巻き込まれ、
自分がわからなくなります。

愛され過ぎて怒り出したY子さん

当初いくらがんばっても出逢いがないと嘆いていたY子さんは、妻のマダムれいこのセッションの2週間後、ばったりと理想の男性と出逢いました。

年は5歳下。
逢うたびに「スキだ。会いたい!」
とばかり毎週毎週遠方から2時間もかけて逢いに来てくれました。

本来なら理想のパートナーと出逢えて
最高に幸せなはず。

ですがあまりに「好きだ好きだ」言うものだから
だんだんと腹が立ってきたというのです。

なんともぜいたくな悩みですね!(笑)

このように望んでいることが手に入っても、人はいまいる場所から出て行くとき、ときに不安になり、腹が立つものなのです。

このことがわかっていないと、
なぜ好きが嫌いになるのかわかりません。

Y子さんも、
王子様に見染められたシンデレラのように
「好きだ好きだ」と言われて落ち着かず、
むしょうに腹を立てていました。

かといって彼の善意や好意をむげにもできず、
再びマダムれいこに相談したのです。

「その際は、どうしても腹が立ってしまう自分を伝えるといいですよ」とアドバイスしたところ、ほっと安堵したように落ち着きました。


きらいがスキに変わった瞬間


そしてその次に彼がやってきたとき、
「好意を持ってくれるのはうれしいけど、毎週毎週のように来られると自分の仕事やプライベートが犠牲になってしまう。だから(あなたのことは好きだけど)そうなるのはイヤ」と伝えました。

すると彼は、
「そんなY子が好きだし魅力的だ」
と言って来たそうです。

Y子さんは、
されてイヤ(きらい)なことを伝えた。

するとイヤなことが気にならなくなり、
彼のことを心からスキになった
のです。

Y子さんは彼の発言に笑いが出てしまい、
急速に彼との仲が急接近していきました。

自分の気持ちを伝えた10か月後――、
「ハワイで挙式を挙げることになりました」
と報告がありました。

好きなものが嫌いになったり、
嫌いな人が好きになることがある

このように好きか嫌いかというのは
概念であり、表裏一体ということ。

嫌いだから排除しよう
好きだから取り入れよう
といった単純なものではないこと。

このことがわかってくると、
嫌いな場所でも息ができるようになり、
好きな場所が嫌になる理由もわかってきます。

その結果あなたは、
どこにいても花を咲かせられるようになり、
どんな場所でも自由に楽しめるようになるのです。



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