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あやうくアイドルになりかけた話


まいど古(いにしえ)系のハナシなんですが、芸能界に入りかけたことがありまして。私が小中学生の頃はピンクレディの全盛期で、幼馴染みのナッツと階段の踊り場なんかで舞い踊っていたものです。ナッツのお母さんは飲食店を営んでいて、そこのカラオケでもよく歌わせてもらっていた。

ある日、下手くそな私たちの歌を聞いていた客の一人が「アイドルになりたくない?」と名刺を渡してきました。
自分たちは容姿も至って凡庸だし、歌も踊りも秀でているとは思えなかったので「はあ…?」としか。何よりも怪しいおじさんに見えるし「どうしよう?」と目を見合わせていました。
するとナッツのおかあさんが登場して「いいじゃん、やるだけやってみれば」と即解決。たいがいこういう場合は心配して止める親が多いと思いますが、ナッツ母は前にしか進まないタイプなので思い切り背中を押されました。

それから一週間も経たないある日、私たちは新宿のスタジオにいました。隣には「聖徳太子」と呼ばれる怪しいおじさん。そして私たちをスカウト(?)した怪しいおじさん。スタイリストと名乗る怪しいおばさん。怪しいオールスターズに囲まれた中学生の私たちはひたすら焦っていました。不安しかない。

聖徳太子を名乗る怪しいおじさんは、聖徳太子のような衣装を着て「和をもって尊し」なんて言っていましたが、結局は金にまつわる世知辛い世間を歌うようでした。当時の紙幣は聖徳太子だったので金絡みのコミックソングのようです。自称スタイリストのおばさんは一万円札柄のミニワンピを熱心にスケッチしていました。やだ…あんなの絶対に着たくない…。

私たちをここへ連れてきた怪しいおじさん略してAOは、これからのスケジュールについて意気揚々と語っていました。とりあえず今日は顔合わせとB面のレコーディング。次は衣装合わせとA面のレコーディング。その間に間に踊りの練習とナンタラカンタラ…

ナンタラカンタラはよくわかりませんでした。わからないというか、耳が拒否ったというか。

私たちは完全に固まっていましたがAOはおかまいなしで「あ、君たちの名前はね〈聖徳太子と大和撫子86〉だよ」と畳み掛けてきます。86?86って何の数字?と小首をかしげていると「あ、86はね、君たちのバストのサイズだよ」と微笑むAO。おそろしすぎて「そ、そんなにありません!」と即答しましたがAOは「そんなこと、どうにでもなるよ」とニヤリと笑うのでした。

マジ怖い芸能界!マジやばい!さっきのナンタラカンタラは豊胸手術のこと?ヤバいよヤバいよ!めっちゃ逃げて帰りたい!ナッツと私はガチガチになりながらも目線で情報交換をしますが、勝手に逃げるにはナッツ母とAOは知り合いだし困った…という感じです。そうこうするうちにB面の「爆笑!フニャフニャ音頭」のレコーディングがはじまりました。フニャフニャ音頭…なんだそりゃとは思いながらも終われば帰れる、と気分を奮い立たせて「あ、フーニャフニャ!」という変な合いの手を入れ続けました。何にもおかしくないのに笑い声を入れたり、鍋や釜を叩いたり…。ほんとに何だったんだろう、あの時間。

約2時間ぐらいで謎の時間は終わりました。帰りの電車の中で私たちはすっかり虚脱していましたが、豊胸手術は勘弁、ということで意見は一致していました。帰ってナッツ母にその件を話すと「あら、オペはないわよねー」と同意見で、とっととAOに断りの電話を入れてくれました。これで無事に〈大和撫子86〉にならずに済んだ私たちは、すぐにこの謎体験を忘れ、
普通の女子中学生に戻りました。

あれは夢だったのかな…ぐらいに思っていたある日、写真週刊誌の中吊りに「聖徳太子も泣きっ面」というフレーズと「あの」聖徳太子の写真が載っていました。ああ、そういえば…もうすぐ新札に切り替わる時期なのでした。聖徳太子から福沢諭吉へ。聖徳太子で一発当てようと目論んだニセ聖徳太子は当てが外れてガッカリしたことでしょう。そもそも売れたかどうかもわかりませんが。

あのまま〈大和撫子86〉にならなくてよかった…と今もしみじみ思います。昭和真っ只中、まだ10代の頃のちょっと不思議な経験でした。

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#創作大賞2024
#エッセイ部門


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