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#42 強制休暇で思ったこと。行く場所と帰る場所がある幸せについて。

おはようこんばんは。サラリーマン中間管理職のひろぽんです。2月も後半ですね。まだまだ寒い季節が続きますが、頑張っていきましょう。

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さて、いまだに終息の兆しが見えない新型コロナウイルスですが、その影響もあって、休暇調整(強制休暇)を取らさせるという・・・嬉しいような、悲しいような(笑)

休みとはいえ・・・世の中は動いているので、課題を同僚や部下に引き継いだり、取引先に調整をしてもらったりと、計画外の休暇は、やはり嬉しさより、しんどさの方が大きい気がします。

普段の生活リズムを、無計画に突如と奪われるのって精神的にはあまり良くないと感じました。そん感覚って何だろうって。

で、その感覚に気づきました!

「行く場所」と「帰る場所」

「行く場所」とは、自分が社会と繋がる”場”としていいでしょうか。リモートワークであれば、PC等に向かってメールをしたり、電話連絡することが”社会と繋がっている”ということを意味します。

正直、休暇となっていても、会社メールを使って連絡を取り合ったり、店舗からの障害報告に対応したりと・・・”無償業務”をしたり・・・と自然に体が対応してしまうのです。なぜだろう?って

別に、今の仕事が好きで好きでしょうがない・・・からではありません!(あまり、大きな声に言う話ではないですが、そういう単純な気持ちではない・・・)

で、やっぱり、世の中と社会と繋がっていたい・・・自分の気持ちの表れ、メールする自分、電話する自分・・・社会と繋がっている瞬間なので、裏を返せば、強制休暇で突然「行く場所」を奪われて、”どうしよう。。どうしよう。。”と狼狽えている自分。(実際には狼狽えている行動は見せていませんが(気持ち的に))

その気持ちを落ち着かせるための行動なんだろうな。と。


アラフィフに差し掛かる年齢ではありますが「休み」は嬉しい。まるで、土曜日の学校が3時間で終わって自宅に帰れる気持ち(土曜日に学校が古い世代です。土曜日は午前中で授業が終わる)明日は日曜日で学校がない!あの解放感。今でも金曜日ので終業した時の気持ちは・・・・正直、小学校と変わっていないかも(笑)

会社が休み。行かなくていい。羽を伸ばせる。のんびりできる。

それって「行く場所」って気持ち的にちょっと”しんどい”場所があるからこそ、味わえる感覚なのかな。と。
※ここでの”しんどい”とは、嫌で、嫌でしょうがない、と言ういう気持ちより、仕事して社会活動する瞬間は、羽は伸ばさないし、のんびりもできないと言う意味です。

「行く場所」って大事だなぁって。

ちなみに「帰る場所」は触れていませんが。もちろん自宅など、自分をOFFとする場所です。社会人になる前までは、実家という親から与えられた「帰る場所」がありましたが、結婚して、家庭を持つようになれば、やはり、自分で”帰る場所”を設けて、そして、生まれた子供は、その与えられた「帰る場所」がある。

そして・・・行く場所は、私が働いている(別に「行く場所」がある)からこそ”保育園”という「行く場所」が与えられています・・・

って、未就学児にだって「行く場所」があります。


強制的にハタラクことを取り上げられて「行く場所」を奪われて、初めて「行く場所」のありがたさがわかった気がします。

今やっている仕事が辛いなぁ。とか、しんどいなぁ。と・・・感じる方もいるでしょう。もちろん本当に精神的に辛い場合は、もちろん休息が最優先ですが、「生きるために、とにかく働かなければならない」という気持ちでいる方・・・

とにかく「行く場所」があることをありがたいと思いながら、わたしのよく言う、走りがなら考える(今の仕事をつつけながら、次の生きる場所を見つける)ことだと思います。


来週もまた来てくださいね。

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