茨城行きの飛行機のなかで思ったこと
那覇空港発、茨城空港着。
こんないつものように。
こんなにいつもと同じように。
那覇空港から飛び立っていいのか。
こんなもんなのか。
見慣れた景色を、いつものバスに乗って、眺める。
いつものように、あたりまえに。
もうあのアパートに戻る事はない。
あの玄関の鍵を開け、自分の部屋に入ることはない。
今日、まっさらにしてきた。
シンプリストに憧れて、いずれ来る引越しに備えて、極力モノを増やさずに暮らしてきたのに。
それでもモノはたくさんあった。
必要なモノばかりだったけれど、それでも、さらに厳選できる。運ぶ荷物に入らなかったモノたち。私の元に来てくれて、ありがとう。
貰われていったモノたち。引き取ってくれた皆さま、本当にありがとう。
私の理想の暮らしを考えよう。
今後の仕事のことも気になるけれど、それだけじゃない。
これからしたいことはなんだ。
沖縄に移住する時には、やりたいことをリストアップした。
茨城に戻ってやりたいことリストはなんだ。
夢が叶った後のこと。
沖縄移住の後のことは、考えてなかった。
沖縄から旅立つ時に、また来たいと思えたのは嬉しいことだった。那覇空港に到着して絶望した時期もあったから。沖縄に帰りたくない時期の私は、約4年間の沖縄移住を大成功だと思って引越すことを、想像もできなかった。人生っておもしろいね。
ある嫌味を言われたことが、沖縄での暮らしを伸ばした理由のひとつでもある。それもよかったのだろう。同じ出来事も、時期が変われば、捉え方も変わる。過去は変えられる、と言われるのは、そういう理由だ。
なぜか嫌われて、私に嫌味を言ったあのひとを知る、共通の知人と話していて、「なんでか分からないけれど、嫌われちゃったんだよね」と打ち明けたら、その人も「私も嫌われてましたから。なんでか分からないけど。◯◯さんのことは気に入ってるから、全然態度が違う。別に気に入られようとは思わなかったけど、傷つきますよね。」と話してくれて、私だけじゃなかったのかと、なんだか可笑しくなってしまった。気にすることなんか、なかったんだ。もちろん、私が相手を不快にすることをしてしまったのかもしれないから、今後も自分の行動には注意しなければならない。だけど、相手の好き嫌いは私にはどうしようもない。私自身を相手好みに変えられる訳でもないし、変えたくもない。
人によって態度を変える人よりも、お互いを尊重して、心地よい関係を続けられる人とつながっていければ、私はそれでいいのだ。そして、素敵な人たちと出会えたことが、沖縄移住のご褒美だ。なんだか、とっても、気が楽になった出来事だった。ありがとうKさん。
沖縄でやり残したことは、ゼロではない。の饅頭を食べていないし、こどもの国にも行っていない。だけど、また来ればいいのだ。
沖縄も、私の第二の地元になったのだ。
那覇バスターミナルが近づき、国際通り入口の交差点には、たくさんの人達が溢れていた。みんな、マスクをしていない。国際通りのシーサーも、とっくにマスクを外してる。
私の沖縄移住は、新型コロナと共にあった。
2020年3月末に移住し、無事にアパート入居後、4月になると、茨城↔︎沖縄間の飛行機は運休となった。ギリギリ沖縄に滑り込んだようなものだ。
2023年は、無職になったけれど、沖縄生活を継続することにした。マスクの着用も任意になって、人の往来が増えた沖縄。私自身、新型コロナに感染したりもしたけれど、旧盆には地域の青年会のエイサー練習の音が夜遅くまで聞こえたり、近所を練り歩く道ジュネーをやっと目撃できて、沖縄で暮らしている醍醐味を感じられた。観光地やイベント会場じゃなくて、地域のエイサーを体験できたことが、とても嬉しかった。
沖縄のこどもたちとの交流も、私にとっては新たな学びと経験を与えてくれた。人と人として出会い、関係を重ねることの喜びと難しさ。私が私と一致することの大切さ。時間が深めてくれる関係もあること。
もっと魅力的な私になっていきたい。おもしろい生き方をしているおとなになりたい。おもしろいおとな。生きることを楽しんでいるおとな。こどもたちが、おとなになりたいと思えるように。
沖縄移住を経て、今の私が大切にしていること。
自分の内側を平和に保つ。
自分で自分をいい気分にする。
年齢で制限しない。小さなこどもであっても、人生の大先輩であっても、相手に敬意を払う。
目の前のひとに喜んでもらえることを考える。
身軽でいたい。
思考も、行動も、生活も。
年齢を重ねると、体力も集中力も低下して、新たな挑戦に尻込みしてしまうけれど、新しい体験に開いていたい。偏見で自分を守らない。
年齢を重ねて、進んだものは、老眼だけ。
そんなことにならないように。
もうすぐ、茨城空港に到着します。
ありがとう沖縄。ただいま茨城!
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