ぼくには友達がいない

そういえば、わたしは子供の頃から一人ぼっちだった。誰かとうちとけた関係を築くのが苦手で、自分でも人と一緒に過ごすより独りでいることを好んでいた。そしてそのまま大人になってしまった、という感じだ。
 そうして、少なくとも20代に自衛隊にいたときからいわれたのは、「人を寄せ付けない雰囲気がある」ということだった。無意識に人との関係性を拒絶してしまっているのだろう。自衛隊の兵営での集団生活は、はじめは大変で周りに合わせる必要があったが、わたしの心は一貫して孤独だった。

いま40歳で一人暮らしをしており、折にふれてふと思うのは、もし今後両親が亡くなっていなくなれば、自分は天涯孤独の身になるだろう、ということだ。姉はいるが、疎遠である。従兄弟たちとは、連絡を取ることもない。休みの日とかには、孤独感に打ちひしがれそうになることもしょっちゅうある
 一人でも生きていける、しかし明らかに何かが足りない。自分は結婚しないし、一人でいることは別にいいのだが、生涯の親友と呼べるような存在が一人や二人いてもいい、と思っている。
 その一方で、「ぼっちが最強である」という説があるのも知っているし、それはそれで一理あるとも思っている。

なにかの記事で読んだことがあるが、日本の社会はとりわけ社会関係資本(ソーシャル・キャピタル)が希薄なのだという。これはとくに日本人男性にその傾向が顕著なのだという。日本で社会的ひきこもりが社会問題になっているが、それは単なる偶然からではなく、「社会全体がひきこもり」みたいなところがあるからだろう。
 日本社会の特徴のひとつに、海外に比べて「閉じた社会」「閉じた人間関係」にあると思う。たとえば、ニューヨークのブルックリンとかでは、公園で見知らぬ者同士がチェスをプレイしたり、といった風景が見られるらしい。
 しかし、同じことを日本ではまず見かけることはない。下町とかにいけば高齢者がもしかしたら将棋を指しているかもしれないが、そういう光景は一般的なものではない。新しく人間関係のネットワークをつくるのに不向きな閉じた社会が日本、そういうふうに以前から感じていた。つまり、職場とか学校とかの、ごく狭い人間関係の中に終止するのが日本の社会の特性、といえると思う。
 わたしの場合、厳密にはひきこもりとは呼ばれないのがもしれないが、他者とのつながりはほとんどないし、そういう男性(あるいは女性も)は日本社会にはけっこういるんじゃないだろうか?

そこで最近、社会人サークルを探すようになった。とりあえず登録したのは、“つなげーと”と、“スポーツやろうよ!”というサイトである。
 休日にはジョギングやハイキングなど、ひとりで運動をすることが多い。そこで、わたしはみんなで集まってなにかチーム競技をやりたい、と思っている。
 じつはコロナ前に、30代半ば位のときにもそうした社会人サークルをいろいろ探したことはあった。しかし、なかなか条件が合わずに結局あきらめたことがあった。今回も探していて、いくつかの問題を感じている。
●まず、若者向けで、男女の出会いを目的にしたものが多い、というのが一つ。
 40歳のわたしは同年代とつるみたいし、必ずしも出会いや結婚を目指しているわけでもない。そこがまず、ずれている。
●次に、イベントとか開催するときに、参加するには有料で、しかも19時とかわりと遅い時間帯が多いということ。
 やっぱりお金がかかるのか、という思いはある(といっても千円か二千円ぐらいなら許容したいところ)。あとは、シフト制で不規則に働くわたしにとっては、とくに生活リズムは意識して整えたいところであり、遅い時間に外出して運動なんかしたくない、というのはある。

こうした条件のずれみたいなのもあるが、今回はちょっと辛抱強く探して、実際に参加してみたいところだ。それも、一回参加して終わり、ではなくて、継続的に参加して誰かと顔見知りになれるようなサークル活動を目指したいと思っている。 
 そういうイベントに参加するのを時間のムダとか面倒くさいとか思わずに、あくまで自分のための投資、人間関係や社会関係への投資、と捉えなおして見ようと思う。