見出し画像

ピーター・シンガー「動物の解放」を読む。

わたしたちは、ふだん動物のことを意識することはない。それはせいぜいペットとか野生動物の特集とかで話題になるくらいなもので、ふだん自分の家の食卓にならぶ肉類が、どうやって飼育されてきた末にそういう姿になったのか…考えることすらしないと思う。

わたしは先日、著名な生命倫理学者のピーター・シンガーによる本を読了した。定価で四千円以上もする大著で、まるで学術論文を本にしたような読みづらい本であった。
 シンガー博士は同書において、人間による動物の搾取、とりわけ動物実験と工場家畜の問題を取り上げて激しく糾弾していた。内容ははっきり言ってショッキングであり、人間の利益のために動物たちがここまで酷い扱いをされてきたことに深い幻滅を覚える。
 博士の主張は極端に思えるけれども、大筋においては賛成である。たとえば、動物実験については次のように糾弾したいた。

一体どうしてこんな実験ができるのだろうか? なぜサディストでもない男女が勤務時間中に、サルを一生つづくうつ病状態におとしいれたり、犬に死ぬまで熱を加えたり、猫を薬物中毒にしたりできるのだろうか? それから白衣を脱いで手を洗い、家に帰って家族と一緒に食事をすることができるのだろうか?
 前掲書

しかし、中には次のような批判もあろう。「医学的な実験、薬の治験などのために動物を利用することは、人間の福祉のため、苦しんでる患者を救うために必要なことではないのか?」と。
これに対して博士は次のように述べる。

潜在的に人間の生命を救う医薬品の動物試験を要求することは正当化しうるかもしれないが、同じテストが化粧品、食品着色料、床磨き剤のような化学製品についても行われているのである。新しい種類の口紅や床磨きのワックスを市場に出すために、何千頭もの動物が苦しむべきなのだろうか? 私たちは、すでにそうした製品を、十分たくさん持っているのではないのか?
 前掲書

また、動物実験よりもはるかに規模が大きく、問題としては大きいのが工場畜産(factory farming)である。たとえばアメリカでは、豚だけで数十億頭も飼育されているという。
 家畜たちは、身動きもできない環境で、一日をとおして畜舎に閉じこめられ日光を浴びることもかなわず、便は床の“すのこ”を通して垂れ流しで、母と子はたいてい早期に引き離され、食事は人間の手によって加工された怪しげな“動物性たんぱく質”を与えられるのである。

産卵鶏の苦しみは生涯の早い時期に始まる。孵化したひよこ(初生雛)は「雄雌鑑別人」によって雄と雌に選別される。雄のひよこは商業的価値がないので捨てられる。いくつかの会社は小さな鶏をガスで殺すが、しばしば彼らは生きたままプラスチックの袋に入れられ、次々に入れられるひよこの重みで窒息死させられる。他のひよこは生きたまますりつぶされ、姉妹たちのエサに変えられる。
 前掲書

これら工場畜産の家畜の圧倒的多数が、いまや全生涯を屋内で過ごしており、屠殺のためにトラックで運び出されるまで、新鮮な空気、日光、草に触れることはない。…
 米国で、食用仔牛は意図的に貧血にさせられ、敷きわらを与えられず、非常に狭いので体を回すことさえできない木枠に閉じこめられている。
 前掲書

ほとんどすべての肉牛飼育者は、牛の角を切り、烙印を押し、去勢を行う。これらのプロセスはすべて、はげしい肉体的苦痛を引き起こしうるものである。
 前掲書

わたしは、こんなふうに育てられた動物の肉なんて食べたいとは思わない。   
 それだけストレスフルで、不自然な環境のなかで育てられているわけで、それは毎年のように鳥インフルエンザや豚熱が流行しては、何十万、何百万という単位で家畜が大量に殺処分されていることからも、いかに不衛生な環境のもとで飼育されているか分かる。
 仏教的な“慈悲”の面から、肉食はまちがっているように見えるだけでなく、健康面から見てもそうした肉類を口にするのはリスクが大きい、と思っている。
 シンガー博士自身も、「私は動物を食べることによって、私もその一員である人類による他の生物種の組織的な形態の抑圧に加わっているということを、確信するようになった」と同書の巻末で述べていた。

また、肉食は地球環境にも負担が大きいことを、博士は次のように説明している。

食肉生産はまた、他の諸資源にも負担をかける。…北米の陸地の3分の一以上が放牧に使われており、米国の耕地面積の半分以上に飼料作物が植えられており、米国で消費される水の半分以上が家畜に使われる。これらすべての側面を考慮すると、植物性食品は資源と環境への負荷がはるかに小さい。
 前掲書

家畜生産はまた、水利用に関しても、作物生産と比べて貧弱な成績である。1ポンドの食肉生産は同じ量の小麦に比べて50倍もの水を必要とする。…家畜生産の水需要は、アメリカ、オーストラリア、その他の国が依存している広大な地下水の貯えを干上がらせつつある。
 前掲書

近年、SDGsとかさかんに言われるようになり、これまで以上に地球環境への配慮が求められる時代になっている。しかし、これを丹念にみていくと、いままでの人間の消費生活やライフスタイルを、根本的に変えることが求められているともいえる。もちろん、肉食をやめることも含めて。
 近年の気候変動や異常気象、世界各地で頻発している大雨洪水や旱魃は、食物生産に甚大な被害を及ぼすだろう。もはや、待ったなしの危機的状況といえる。「資源と環境への負荷が大きい」ことがすでに分かっている食肉生産のあり方には、全面的な見直しが迫られるだろう。
 
また、同書では、西洋社会が歴史的にみて、動物たちをどのように扱ってきたかを最後のほうで説明していた。
 よく知られるように、ローマ帝国の時代には、剣闘士や猛獣をつかって殺し合いの見世物を行っていた。キリスト教が公認された後も、動物たちにとって受難の時代はつづいた。それはたとえば、「神が人間を創造したのであり、一方動物は人間に使役されるために神がべつに創造したのだ」という考え方がされてきたようである。
 ルネサンスはあくまで「人間中心主義」であって、動物たちの待遇が変わるわけではなかったし、ヨーロッパ近代においては、思想家のデカルトが述べたように、「動物は生物機械にすぎない」と考えられていた。
 そして、現代において、ヨーロッパを中心に動物の福祉向上の機運が徐々にではあるが高まってきているようである。一方、アメリカではアグリビジネスが議会に与える影響力が強く、利益優先のために動物の福祉はないがしろにされているようだ。それならば、日本はどうなのか? たぶん、日本も似たりよったりの状況だろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?