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現代アート小説 絵絣 EGASURI #2「染織り編」

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 空を見上げると、太陽があんず色に輝いていた。
 あちこち歩いてみましょうか? あんずの里で出会った女性が話し掛けてきた。こんな太陽の日は、年に何回もないんですから。
 いきなり話し掛けられることだって、年に何回もあることじゃない。ぼくは、女性と一緒に歩いて行った。

 6YR6/7。色の図鑑の中のあんず色。ぼくは図鑑の色と太陽の色を感じてみる。今日の太陽の色は、ずっと生々しくて、あんずっぽい。
「あんず色の太陽って、何もかも照らしそうですね」と彼女が言った。

「今、何もかもって、言いました? それって、どういうことですか?」、ぼくは彼女に聞き返した。
「ちょっと、待ってください」、彼女は言った。「照らしているのではなくて、染めているのですね」
 彼女の視線は、どこかを漂っていた。ということは、彼女の心もどこかを漂っていて、ここにいるぼくとは話をしていないのもしれなかった。

「遠くに空があって、ここに私たちがいるでしょう」、彼女は言った。「そのあいだにあるものを、染めているような気がします」
 ぼくは、彼女を現実に引き戻してしまわないように、おそるおそる聞いた。
「それは空気を、ただあんず色に染めているって、そういうことじゃないんでしょう?」

 つまりぼくは、彼女と話しているうちに、あんず色の太陽から降り注いでいるものは、単なる色だけじゃなくて、もっとごちゃまぜのようなものなんじゃないかって、そんな気がしてきたのだ。

「私たちの気持ちも、染めてくれるでしょうか?」、彼女は言った。
「気持ち?」
「今ここに、穏やかな気持ちがあるでしょう。でも、気持ちっていうものは、昨日起きたこととか、そういうものだって引きずっているはずでしょう」、彼女は言った。「きっと、ちょっとした痛みのようなものは、あんず色の太陽が溶かしてくれるんですね」

 ぼくは、彼女が言ったことがどういうことなのか考えながら、彼女のあとをついて行った。
 高台に出ると、あんず色の太陽が里一面を覆っていた。ちょっとずつ目が慣れてくると、あんずの木が揺らめくのが見えた。
「まるで、あんずの木が、たった今、太陽から生まれたみたいですね」、彼女は言った。

          *

 染織り工房に、あんずの枝や幹が届いた。染織り作家の先生が、あんずの木を細かく削って、釜の中にすべり込ませた。
 釜の水が、ちょっとずつあんず色に染まっていく。あんずの木が、じっとしていられなくなって、ゆらゆらと揺らめいた。煙と蒸気が、釜から立ちのぼって、あんず色の太陽へと還っていく。

秋の舞

 先生が、釜の中に糸を落として、あんず色に染めた。
――ずっと、昔からですよね――彼女は言った。――魔法つかいと呼ばれる人たちが、釜の中に何かを放り込んできたでしょう。金を練り上げたり、不老不死の薬をかき混ぜたり。でも、魔法つかいさんたちって、とても忍耐つよいですよね。じっと我慢して、ぐつぐつと――

 そういえば、糸に染まった色から、どんなあんずの木だったのかわかるらしい。でもそれって、どういうことなんだろう?
 あんずの木が太陽を目指して、わき目もふらず太く伸びていたのか。風に吹かれて、やさしすぎるほど、しなっていたのか。

          *

 あんず色に染まった里に、小さな音が響いていた。
「何の音でしょうか?」、ぼくは、つぶやいた。
 彼女は何も言わないで、音に近づくように坂をのぼっていく。
 カタン・カタン、カタン・カタン、機を織る音が聞こえて来た。
「とても、きれいな音ですね」、ぼくは彼女に話しかけた。
「今日は、心が整っているようですよ」、彼女は言った。

 染織り工房を覗くと、先生が染織り物を織っていた。
 どこまでが、先生なんだろう? とぼくは思った。先生の手と機織り機は一体になって見分けがつかないし、機織り機の糸は、あんず色に染まって、あんずの木までつながっている感じがするし、あんずの木は、太陽と一緒に揺らめいている。

          *

「この糸は、まゆをほどいてつくられたんですよ」、彼女は言った。
「まゆって、抜け殻のことでしたっけ?」、ぼくは聞いた。
「生命を、包んでいるものですよね」、彼女は言った。「その生命が、こんなにも細くて強い糸を吐き出しているんですね」
 生命がつくった糸を、別の生命が染織り物につむぎ直して、一体何を包み込もうというのだろう。

――経糸と緯糸、千本の交差する糸―― でも、千本っていうのが、どういうことなのか、想像もつかない。
「数えられないんだから、無限って言いたくなるけれど、それでいいのかな」、ぼくは心配になって、彼女に話しかけた。
 そんなこと、聞かなくてもよかった。染織り物を目の前にしたときの手ざわりのようなものは、どうしたって宇宙のようなものが感じられる。

「どんなふうに絵がかすれるのか、織りあがってみないとわからないんです」、彼女は言った。
 ひょっとしたら、先生の手を通り抜けることで、生きることのゆらぎみたいなものが、織り込まれているのかもしれない。

 一枚の絵絣が、織りあがった。この一枚だけにある色、ゆらぎ。
 絵絣の中で、少女が、魚が、花が、息づいている。


@「apricot season'24」 2024.3.16 ~ 4.7
art  cocoon みらい
https://www.artcocoon.com/


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