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運に見合った損をする

今日のおすすめの一冊は、竹内一郎氏の『あなたはなぜ誤解されるのか』(新潮新書)です。その中から「美人とイケメン」という題でブログを書きました。

美輪明宏氏は「正負の法則」の中で、美人のことをこう語っています。

世界の歴史の中で、超弩級(ちょうどきゅう)の美人だった人は、その美形度の度数が上がれば上がる程、《正負の法則》でそれに見合っただけの悲惨な人生を送っています。クレオパトラも楊貴妃(ようきひ)も、小野小町(おののこまち)にしろ、ローラ・モンテスもエンマ・ハミルトンもグレタ・ガルボもヴィヴィアン・リーもエリザベス・テーラーもグレース・ケリーも、たび重なる心労、病気、大手術、孤独、波乱万丈、哀れな死。
なまじ美人に生まれたばっかりにそれに釣り合う代償を払わされる破目(はめ)になるのです。高い所へ登った人ほど、落ちた時には大怪我か即死です。低い所にしか登れなかった人は落ちてもせいぜい軽いカスリ傷か怪我くらいですむのです。それが《正負の法則》ですから仕方がありません。
ですから、「まあどうにか見られなくもないかな」と言われるくらいの、容姿容貌の人々はそれにふさわしく、まあまあ可もなく不可もなくという無事平穏な人生を送ることが出来るのです。美人をうらやましがる必要は少しもありません。
ハリウッドの女優だった、グレース・ケリーは、裕福な家庭に育ち、美貌で才媛、アカデミー賞を受賞して、それからモナコの王妃になりました。〈正〉だらけです。でもそういいことばかりがあるものではありません。子供たちはスキャンダルだらけ、心配事はひっきりなし、あげくの果ては事故で悲惨な死に方をしました。しかも、暗殺だとか他殺だとかいろんなことを言われて。
グレタ・ガルボの場合は自分から〈負〉を作り、その〈負〉を受け入れて生きていった、稀有(けう)な存在です。大根役者ではありましたが、大女優の名をほしいままにしました。今の若い人たちはご存知ないかも知れませんが、「ガルボの前にガルボなし、ガルボの後にガルボなし」と言われたほどの美貌だったのです。彼女はある盛りを頂点として、自分からさっさと引退していったのです。そういう〈負〉の作りかたもあるのです。
原節子さんの場合と似ています。同じように絶世の美女ですが、自分でさっと引退という幕を降ろし、〈負〉を選んで、それで〈プラス・マイナス・ゼロ〉にしてしまったのでしょう。その後は隠者のように遁世して暮らしていらっしゃいます。
エリザベス・テーラーはアカデミー賞も受賞し、世界一と言われた美貌の持ち主でしたが、富と名声に恵まれ、子供たちもいて、何が〈負〉かと言うと、ここぞというときに必ず大病をするのです。それも大手術を伴うような命がけの大病ばかり。しかも8回も結婚と離婚を繰り返し、一生、男性の愛情による平穏が得られなかったのです。
フレッド・アステアはタップダンサー、モダンダンサーとしては世界一でしょう。あれだけの踊り手はもう出て来ません。ただ彼は美しい男ではなかった。二枚目の役もやってはいたけれど、シリアスなものはいっさいダメでした。そして、彼の何よりの〈負〉はものすごいばかりの練習量だったのです。かの〈日本の誉(ほま)れ〉イチローさんも同じと聞いています。才能だけでなく、その努力たるやハンパなものではないそうです。『ああ正負の法則』(PARCO)出版より

幸田露伴は、「幸福三説(こうふくさんせつ)」ということを言っています。三説とは、「惜福(せきふく)」「分福(ぶんぷく)」「植福(しょくふく)」の三つの福のことです。惜福とは、福を全部使ってしまわずに惜しむことです。人気絶頂の俳優が、まだあと何十年と活躍できるにもかかわらず、惜しまれながら引退する、というようなことですね。

早期引退は、日本では山口百恵さんがいますが、なんと21歳で引退し、その後一切表舞台には出てきません。負をさきに支払うということだと思います。才能がある人や大成功した人は、この考え方が非常に重要だと思います。

しかし、これは天才や一部の大成功者だけの話ではありません。多くの一般人でも多かれ少なかれ、正と負の山や谷はあります。運がついているときに、いかにしてその運に見合った損をするかということでもあります。人生って、こう考えると面白いですね。

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