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自分にちょうどいい人に囲まれる

今日のおすすめの一冊は、小林正観さんの『「今」という生き方』(廣済堂文庫)です。その中から「質問という形の否定」という題でブログを書きました。

本書の中にこんな素敵な文章がありました。

アメリカの大リーグのピッチャーが、記者から「イチロー選手をどう思いますか」と質問を受けることがあります。 その時にもし「彼なんか簡単に打ち取ることができますよ」と答えて、ホームランを打たれたら、その人は格好がつかなくなるでしょう。 結果的に、その発言が自分の評価を下げることになります。
ほとんどの人がイチロー選手のことを 「とても素晴らしい選手で、こんなに天才的なバッターはいない。 百年に一人ぐらいの逸材だと思う」 と褒めます。 そう言うのは、「自分も認めた天才」から打ち取ったら、自分が格好いいということになるからです。 アメリカ人は、このような褒め方を損得勘定として使いこなしているように思えます。 相手を褒めれば褒めるだけ、自分の価値が高まるということをわかっている。 イチロー選手から三振を取った時、褒めた自分の価値が高まることを知っているのです。
講演会の後などに「姑(しゅうとめ)はイヤな人なんです」と相談に来る人がいます。 このように、自分のすぐそばにいる人の愚痴や悪口を言うことは、自分の価値を低めているということに気がついたほうがいいかもしれません。 夫、子ども、会社の人、友人… まわりの人すべてが素晴らしい人に囲まれている、と言ったとしましょう。 聞いている人はその人のことを、その素晴らしい人たちに見合った人だと思うのではないでしょうか。
愚痴や泣き言を言ったり、まわりの人の悪口を言うことで、いちばん損をしているのは自分。 なぜなら、悪口を言ったその相手と自分は、同じレベルだと公言していることになるからです。 夫、子ども、会社の人、友人…。 私のまわりにいる人は、みんな素晴らしいと褒めれば褒めるほど、その素晴らしい人たちと同じように、あなたも素晴らしい人なんだと繋がっていく。
人の悪口を言わない人には、悪口を言わない友人が集まってきますし、人の悪口ばかりを言っている人には、悪口ばかりを言う友人が集まります。 毎日が嬉しくて楽しい、と思っている人は、そう思って過ごしている幸せな友人に囲まれるということ。 私たちは、自分にちょうどいい人に囲まれています。

自分の選んだ、学校や会社、友人や、配偶者の悪口を、外に向って言う人は、「自分も同程度にひどい」、と言っていることに気がつきません。「(自分の卒業した学校を)レベルの低い学校だった」「たいしたことない会社なんだよ」と卑下したり、否定することです。「悪口や非難は、それが公の発言になればなるほど、自分の品位や評価を落とすことになります。これは自分の生まれたふるさとや国を否定したり、悪口を言うのも同じです。

「自分にちょうどいい人に囲まれている」という言葉を胸に刻みたいと思います。

今日のブログはこちらから☞人の心に灯をともす


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