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雲のようにゆうゆうと生きる
今日のおすすめの一冊は、枡野俊明氏の『小さな悟り』(知的生き方文庫)です。その中から『迷ったときは「どっちでもいい」』という題でブログを書きました。
本書の中に「雲のようにゆうゆうと生きる」という心に響く文章がありました。
《なぜ、禅では「雲」という言葉がよく使われるのか》
たとえば体力・気力が衰えていると、いつもどおりに仕事をすることはできません。 それなのに「いや、自分は衰えを知らない人間のはずだ」「どんな状態であれ、成果は出さなければいけないんだ」とがんばり続けたとしたら、どうなるでしょうか。
体と心に苦痛を強いたり、成果が上がらないと悩んだりすることになります。 それは当たり前のこと。常に変化する心身の状態に合わせて休む、もしくはペースダウンをしながら仕事をしていれば、「苦」も「悩み」も生じないのです。
禅にはよく「雲」という言葉が出てきます。「白雲自在」「雲無心出岫(雲無心にして岫“しゅう”を出ず)」「坐看雲起時(坐しては看る雲の起こるとき)」などなど。
いずれも、 「空に湧き上がった雲が、風の吹くままに自在に形を変えながら、しかし雲としての 本質・本分を失うことなく、ゆうゆうと流れていく。そして、やがて跡形もなく消え ていく」ことを生き方になぞらえた言葉です。
理想的な生き方だと思いませんか? 心身がきつくなったら、雲を眺める。そこに「無常に逆らってもしかたがない。無理は禁物だ」という「小さな悟り」が見つかると思います。
「行雲流水」という言葉がある。行雲流水とは、空を流れる雲や、川を流れる水は、一箇所にとどまることはないし、常に表情を変え、変化しているということ。
行雲とは行く雲、流水とは流れる水。いずれも逆らうことなく、淡々と流れていく様を現している。物事に執着せず、自然の成り行きにまかせて行動すること。
流れる雲のごとく、ゆうゆうとして生きる人でありたい。
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