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幸せという名の現象

今日のおすすめの一冊は、小林正観さんの『幸せの宇宙構造』(弘園社)です。その中から「人生は自分が書いたシナリオ通り」という題でブログを書きました。

本書の中に「幸せという名の現象」という心に響く文章がありました。

「幸せ」という名の現象は、過去にも存在したことはないのです。「幸せ」という名の絶対 的な現象、絶対的な名称、絶対的な価値を持つ「幸せ」というものは、未だかつて地球上に、 歴史の中に存在したことは一度もない、ということが言えます。 

100人が100人ともすべての人が、千人が千人ともすべての人が、1万人のうち1万人すべての人が、指をさして「これが幸せだね」と言えるものは、地球上に今、存在していないのです。

では、存在していないにもかかわらず、その名称 (「幸せ」という名の言葉)が存在しているのはなぜなのでしょうか。 それは、「幸せ」という現象が存在するからです。 

「ちょっと待ってください。 『幸せという名の現象は存在しない』と、今あなたは言ったば かりではないか」という読者諸氏の声が聞こえてきそうです。 

それはどういうときかというと、「私」が「幸せ」だと思った瞬間に、その思わせたことが「幸せなこと」になるのです。 宇宙的にすべての人が絶対的な価値を持って「幸せだ」と思えるものは、地球上に存在はしていない。

けれども、個人がこれを「幸せだ」と思ったとき、そういうふうに決めたときに、それがその人にとっての「幸せ」になります。 つまり、「幸せ」という現象は、ひとえに個人にのみ帰属するものであって、他の人が口をはさみ、意見を言うべきものではないということです。

 「幸せ」はつかむものでもなく、幸せになるものでもない。「幸せ」とは、ただひとえに「感じる」ものである。「幸せ」は感じた人にのみ、そこに存在する。感じた人にのみ「幸せ」が 生まれる、という構造になっているのです。

◆メーテルリンクの書いた童話の「青い鳥」にあるように、「幸せ」を探しに遠くまで行くが、見つけたのは結局は自分の家の中だった、という象徴的な話がある。

「幸せ」はどこか遠くにあるものではなく、自分で見つけるものであり、感じるものである、ということだ。

今、自分のまわりに存在する幸せに気づける人でありたい。

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