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年を取っても、なすべき仕事があるか?

今日のおすすめの一冊は、渡部昇一氏の『運命を高めて生きる』(致知出版社)です。その中から「継続して一芸に達する」という題でブログを書きました。

本書の中に「年を取っても、なすべき仕事があるか?」という心に響く文章がありました。

六十前まではまだ青年の延長みたいなもので、それほどの差はつかないが、六十を過ぎると衰える者と元気な者との差が明白になってくる。そして、この差を決定づけるのも、やはり青年時代の日々の修養にあるというのが博士の考え方である。 

事実、新渡戸博士自身は、亡くなる寸前まで国内的にも国際的にも活躍し続けた。 亡くなられた年にはカリフォルニア大学から名誉博士を受けて、「内観外望」という本も出しておられる。

日本人移民を制限する排日法の成立や満洲問題などをめぐって日米関係が悪化していた時期なので、アメリカとの外交修復に関する論文を書いたり、講演会をしたり、活発に活動されていた。 

博士が『修養』を出版したのは四十九歳のときで、亡くなられたのは七十二歳のときである。当時は五十歳定年の時代だから、四十九歳といえばそろそろ老いていく時期なのだが、博士は『修養』を書いたのち、まだ二十三年も精力的な活動を続けておられるのである。

当時の博士にしてみれば、まさにこれからいろいろな仕事をやろうというときで、年を取るごとに若返るというのは身をもって実感されていたことなのであろう。

まさに人の老若を決めるものさしは年齢だけではない、これからなすべき仕事があるかないか、それが多いか少ないかで定めるべきであるという気持ちであったのだろう。

◆田中真澄氏は『臨終定年―人生後半の生き方』(ぱるす出版)の中でこう述べている。

かつてアメリカのスタンフォード大学が90歳を過ぎた高齢者に「自分の人生で何が悔やまれますか」という調査をしたところ、その回答の上位3項目は次の通りでした。 

1. もっとリスクを負えばよかった。 
2. もっと何かを学べばよかった。 
3. 子供を育てる以外にももっと何かをすればよかった。
 

このアメリカの高齢者が抱く後悔の念は、これからの日本の高齢者にもそのまま当てはまると思います。

人生100年時代は、生涯現役が必要だと言われる。そのためには、体が健康であることだけでなく、精神の柔軟性、挑戦心、冒険心、継続性、そして限りない好奇心が必要だ。その根本にあるのが読書

年を取っても、なすべき仕事がある人は幸せだ。

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