学び続けること
今日のおすすめの一冊は、出口治明氏の『出口版学問のすすめ』(小学館)です。その中から「いくつになっても学び続ける(元旦によせて)」という題でブログを書きました。
出口氏は「学び」についてこう述べています。
僕が考える「学び」や「勉強」の定義について、少し説明しておきましょう。「人に会う」「本を読む」「旅をする」といった実体験を通じて知識や考える型、発想のパターンなどを吸収(インプット)し、咀嚼した結果をアウトプットすることによって自分のものにしていくこと…。その一連の営みが学びであり勉強だと僕は捉えています。
パスカルが著書『パンセ』のなかで述べていますが、「人間は考える葦」ですから、学びや勉強の最終目的は「考える力を養成すること」に尽きると思います。自分の頭で考え、自分の言葉で、自分の意見を述べるために、人は一生学び、勉強するのです。そして、当たり前のことですが、自分の意見を主張するためには、「数字・ファクト・ロジック」、即ちエビデンスの裏付けが必要になります。
とくに日本人の場合、「勉強」というと、どうしても机に向かってコツコツ積み上げるもの…つまり、ひたすらインプットするものというイメージからなかなか抜け出せないようです。でも、インプットするだけでは、半分、あるいはそれ以下しか勉強したことになりません。インプットしたものをアウトプットしなければ、身につかないのです。
もう一点、僕が抱いている危機意識の一つに、「学ぶ力の衰退」があります。『学問のすゝめ』を著した福沢諭吉は「西洋の文明が発展したのは、さまざまなことを疑ったからだ」と述べています。日本が鎖国をしているあいだに、連合王国やフランス、ドイツなどの西欧列強は、産業革命と国民国家という2大イノベーションを取り込み、近代国家への変身を成し遂げました。
時が過ぎ、現在の日本には、鎖国の影響など全くなくなったかのように見えます。しかし「GDP世界2位の大国やで」と自慢していた経済力で中国に負けてしまい、お家芸だった家電や半導体では韓国や台湾に水をあけられてしまいました。
先進国の中で最も経済成長率が低く、少子高齢化が進んで人口が減り続けている日本は、ここから大胆な構造改革を行って盛り返すのか、このまま緩慢に衰退していくかの瀬戸際にあります。盛り返すには、世界の国々の優れているところを謙虚に学ぶ姿勢が必要ですが、そういう問題意識が希薄で、学ぶ力が衰えているような気がしてならないのです。
2021年の元旦に際し、この出口氏の提唱する「いくつになっても、とにかく学び続ければ未来に光は差してくる!」という言葉を信じ、我々一人ひとりが、よりよい未来を手に入れていけたら、と思います。今年もどうか宜しくお願い致します。
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