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「あたりまえ」を疑え

今日のおすすめの一冊は、白取春彦氏の『頭がよくなる思考術』(ディスカヴァー)です。その中から「偶然の一手にゆだねよ」という題でブログを書きました。

本書の中に『「あたりまえ」を疑え』という心に響く文章がありました。

なにか新しいことをなす人は、要するに発見する人である。
しかし、他の人が発見していないのに、なぜその人だけ発見できるのだろうか。 答えは簡単だ。あたりまえのことをあたりまえとせずに疑うからである。 

わたしたちの多くは、この社会の中にある知識、制度、習俗、伝統、道徳、等々をあたりまえのことだと思い込み、少しも疑ってはいない。それらはすでに固定されて社会に根づき社会を支えるものだと思っているのだ。

ところがそんなふうに思い込むことなく、とにかくいったんは疑い、自分で調べることによって、ついには新しい発見をもたらすのである。
この項目のタイトルですらそうである。 「あたりまえ」とは、実は間違った言い方だ。本来は「当然」という。これを「当前」と書いたりもした。この文字を間違って「あたりまえ」と読み、あたりまえという言葉が広まったのである。

こういうふうに、この世には発見すべきことがたくさん隠れているのである。 そして、この発見を応用することによって、あなたは科学者にも、起業家にも、新しい内容の本を書く人にもなれるのである。

◆「あたりまえ」を疑える人は、違った視点で見ることができる人だ。新しい視点でものを見るには、越境学習が最適だ。越境学習とは、自分の居心地のいいホームを出てアウェイに行ってみること。

たとえば、日本に住んでいた人が、海外に住んでみると、あまりの違いにビックリすることがある。あるいは転職や転校すると、今まで自分の常識だと思っていたことがまったく通用しないことに気づいたりする。コンフォートゾーンを抜けると起こる現象だ。

あるいは、読書をすることにより、今まで常識だと思っていたことが、いとも簡単に覆(くつがえ)ることがある。

また、普段会わない人と会うことで、自分の思い込みや「あたりまえ」がひっくり返ることもある。

「あたりまえ」を疑える人でありたい。

今日のブログはこちらから→人の心に灯をともす


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